誰を嫌っても誰に嫌われても良いと許す | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

この↓ブログが琴線に触れたようだ。

読後に出て来たのは、父親のことだった。

 

たぶん子どもの頃に信じ込んだと思うが、

ぼくはどうやら父親を神様のように思っているようだ。

全然自覚は無いけど、このブログを読んで思い至った。

 

これもまた潜在意識の記憶なんだと思う。

 

自分の世界観や倫理観、正義感などの生き方の基準のようなものは、

子どもの頃に出来た父親のイメージを基にして、

ぼくは人生をかけて形作って行ったのだろう。

 

大人になって、その生き方の基準は、

もうぼくオリジナルになっているけど、

父親を神様のように思っているのは残っているようだ。

 

 

大人になると、父親もひとりの人間に過ぎないと分かって来る。

そして、人間としてのアラも見えて来る。

 

ぼくは父親とはだいぶ考え方が違うので、

気に食わないことも多く、

親子でなければ一緒に居たくない。

 

つまり、

顕在意識では父親を嫌い、

潜在意識で父親を神様と思っている、

という状態のようだ。

 

 

父親と意見が違って言い合いになったとする。

 

自分が絶対に正しくて父親が間違っていると思っていても、

父親に嫌われたんじゃないか?と思うと不安になることが有る。

 

別に嫌われたって良いだろう、

みたいに自分に言い聞かせてもダメなのだ。

 

だいたい父親はすぐに忘れるようなので、

困ったことは無いけど、なんでそんな反応が出て来るのかが分からなかった。

 

でも、潜在意識では父親が神と思ってる、

と考えるとぼくは納得出来る。

 

 

別に父親を尊敬してるのは問題無いと思うけど、

神様視するとなると、それは依存なんだと思う。

 

自覚はなけど、父親に依存しているということ。

 

ぼくは今までの人生をずーっとこの状態で生きた来た。

でも、今日、そのことに気付いたtのは、

もうその必要が無くなった、

父親への依存を手放すタイミングが来たということかな?

と思った。

 

 

父親に嫌われても生きて行ける。

そう、ぼくは父親を嫌っても良いし、嫌われても良いのだ。

それを自分に許そう。

 

自分に許すことが多ければ多いほど自由になると思う。

 

だから、ぼくはこれまで以上に自由になれるだろう。