思考は送り込まれてるかも | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

何かを思い付く、考え付くって、

自然に発生してるのだろうか?

 

この↑ブログによると、

 

『神社仏閣は

 そこの神社さんやお寺さんが

 呼んで下さらないと、

 行かれへん』

 

らしい。

 

『自分で行こうと思って

 行ったんだから、

 行けて当然』

 

普通はそういう感覚になると思う、と書かれている。

 

 

でも、これって、

神社さんやお寺さんが呼ぶ、とは、

 その神社さんやお寺さんに行こうと思わせること、

じゃないか?と思った。

 

例えば、〇〇神社に行くことになるのは、

経緯はいろいろ有るだろうけど、

結局は自分で判断して決めたからだろう。

 

この〇〇神社に行くという結論につながる思考は、

実は〇〇神社の神様から送り込まれているんじゃないか?

と思ったのだ。

 

つまり、〇〇神社の神様に呼ばれた、と。

 

 

神様が思考を送り込めるのなら、

悪魔も出来るんじゃないだろうか?

 

魔が差したりすると、

悪いことを考えたり、

自分の不利益になるような考えが出て来たりする。

 

例えば、

子どもがケンカしたときに、友達に

「おまえなんか死んじゃえ!」

と言ったり、

高い場所に行ったときにふと思う、
「ここから飛び降りたらどうなるかな?」
みたいな思考のことだが、何でそんなこと考えるのだろうか?と思っていた。

 

死ねは悪口として強過ぎる気がするし、

自分で自分を危険にさらすようなことを考えるのは、

どうもおかしいと思うのだ。


おそらく悪魔が送って来ているのだろう。

思い付くことは選べず、他者から送り付けられるのなら、

思い付いた考えは全部考えなくても良いのだ。

思い付いたことに対して、自分には責任は無いと思う。

 

だから、こんな酷いことを思い付く自分は酷い人間だ!

みたいに、自分を責めたり落ち込む必要は無い。

それは悪魔の考えだから。

 

こんな賢いことを思い付く自分は天才だ!

みたいに、自分を誇りに思ったり威張る必要は無い。

それは神様の考えだから。

 

ただし、自分の考えとして採用したモノには責任が有る。

 

そう考えて、ぼくは気持ちが楽になった気がする。

 

これは神様の考えだろう。