好き嫌いの好みは変えられるーぼくの中で見つけた好き嫌いの判断の仕組み | 自分世界探検家のブログ

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だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

自分としては結構内観して来たつもりだったが、

ここに来て、どうやら自分が潜在意識でいじけているようだと分かった、

ということを書いた。

 

今の課題は、
じゃあ、どうやっていじけてる潜在意識を素直な状態に戻せるか?
 
考えても分からないので、
神頼みして委ねることにした。
そして、ちょっと時間を置いてみた。
 
 
ぼくが最近興味を惹かれる人たちは、
世間からは変人とか奇人扱いを受けるような主張をする人が多い。
 
その意見のオリジナリティや発想の新鮮さ、奇抜さが面白いのだが、
そういう人は同時に、見た目や言動が変わっていることが多いようだ。
 
ぼくにはそれが気に食わない。
変な恰好したり、変なしゃべり方や態度は止めて欲しいと思うのだ。
 
まあ、ああいう人たちとぼくは違うからしょうがないな、
ということで今までは済ましていた。
でも今は、そうじゃない!となった。
上に挙げたブログの結果から、
これがいじけた考えから来ていると分かったからね。
 
 
初心に戻って、
惹かれるけど嫌いな人たちを観てみようと考えて、
彼らのYoutube動画を観てみた。
 
最初の動画は、その癖の有る話し方が気になって、
何度も観るのをやめようと思った。
でも、動画内で話されている内容が気になったので、
イライラしながら最後まで見通すことが出来た。
 
途中で気付いたら、だんだんイライラが小さくなって聞き入っていた。
 
最後の方で、その動画主が本心と思える思いを吐露した。
 
それは、文章で書き起こすと、
みんなに感謝いますみたいな内容だったが、
ぼくの心には何か響くモノがあったのだ。
 
これは何か自分に変化が起こっているのかも!?
と思ってもう1つ別の動画も観てみた。
 
変な恰好に動画主が出て来て、嫌だなと思った。
しかし、さっきの経験が有るので、ここは我慢で見続けた。
 
やっぱり、話の内容に興味を惹かれて最後まで見通した。
この動画主に対しては、観ている内に嫌な気持ちが消えて行った。
 
話の端々に、その人の世界観のようなモノが垣間見えた気がした。
それが、とても美しいモノのように感じた、いや違うな~
上手く表現できないけど、なんとなく受け入れられたという感じ。
 
 
自分の好き嫌いって、どうやって判断しているのか?
なんて不思議に思ったことも無かった。
 
観察していたら、
どうやら潜在意識で判断しているように感じた。
それまでの人生の経験から、好き嫌いの何らかの判断基準が決められているようだ。
入って来た情報が好きか嫌いかは、
その基準に照らして単なる〇×のように判断されているようだ。
 
だから、一度好き嫌いの判断をした後に、もう一度それを味わうと言うか、
吟味する、感じてみると、その時に初めて感情が動いくことが有るようだ。
 
そうなると、過去の自分には関係無く、その感じている時の自分が好きか嫌いかが分かる。
 
つまり、通常は感情を交えないで、
過去の経験から決めた基準で好き嫌いの判断をしている。
しかし、何か強く感情を動かされるような体験をしたときに、
好き嫌いの判断基準を無視して判断されるようだ。
 
もしかしたら、このときには、
自分の中に持っている好き嫌いの判断基準そのものも
書き換えられているのかも知れない。
 
 
好き嫌いの好みを変えることは可能だと思う。
 
それは、潜在意識に在る、好き嫌いの判断基準を書き換えれば良い。
 
書き換えるためには、感情を動かされれば良いようだ。
 
感情を動かすには、過去や未来に意識を飛ばすのではなく、
今ここに居て、目の前の対象や現状を五感で味わい切ることが必要だと思う。
 
それにしても、本来の自分が嫌いなモノを無理やり好きに成るのは無理だと思う。
ただ、昔好きだったモノを嫌いになったり、その逆だったり、
本来の自分の好みが変わることはあると思う。
 
 
しかし、好き嫌いを判断するのに、何でこんな込み入ったことをしているのだろう?
毎回味わって、好きか嫌いかを感じればいいじゃないか?と。
 
そう考えてすぐに理由が思いついた。
 
効率のため。
効率良く、無駄なことに時間をかけないようにするため、
味わって感情が動くまでにかかる時間を省略しようとしてたのだ。
 
そう考えてゲンナリした。
 
また、効率という名の悪魔だ。
 
何のために生きて来たのか?
そんなにまでして効率が大事か?
全く潤いの無い乾燥し切った砂漠のような人生じゃないだろうか?
 
そんなことをぼくにさせたのは誰だろうか?
 
誰でもない、ぼくは自分で自分にそういう生き方を強いて来たのだ。
 
とても申し訳ないと思った。
 
そして、そんな酷い目に合っても壊れないで居てくれた自分に感謝を感じた。
 
 
自分の中でこんなことが起こっているなら、
昔は毛嫌いしてたタイプの人を好きになろうとしても、意志力だけでは難しいのも分かる。
 
しかし、予想外のハプニングが起こって見る目が変わるという、
ドラマなどでの定番のシチュエーションも納得出来るだろう。