自由には責任が伴う | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

挑戦的な題名のブログだと思った。

恵まれていると言うか、

自分で望んでいる状況に居るということに気付いていない状態だと思った。

 

 

自分が弱い、劣っている、未成熟、経験が少ない、

とにかく十分な状態ではないから、

外の影響で困った状態になってしまう。

そうなったら自分より強い、優れている、成熟した、経験豊富な、

他人やシステムが助けてくれないと困る。

 

そういうモノだと思っているので、

頻繁に困った状態になる。

そして、助けてもらえたりもらえなかったりする。

 

助けてもらえて当たり前。

助けてもらえないのはおかしい。

だから文句を言う。

 

 

そんな状態の自分は、何かに依存している。

何かに助けてもらったり、面倒を看てもらわないと困ると思っている。

 

自分の身に起こることを何でも受け入れるという姿勢で生きていない。

 

自分を受け入れていないとも言える。

現状の自分の情けなさに降参していないと言うか、

自分の可能性を諦めていると言うか。

 

それは、自分に対する、自分の人生に対する責任を負うことを認めていないということだ。

 

文句を言ったって自分の身に降りかかったことは自分が受け止めるしかない。

自分に対する責任は自分が負うしか無いのだが、

心の中でそれを良しとしていないのだ。

 

だから、自分の思うようにならないし出来ない、

そのようなことが遭ったとき、

それを自分以外の何かのせいにして文句を言うのだ。

 

それは、その状況にすぐに対応しなくても良いと言う意味においては楽かも知れない。

 

そのことを上に挙げたブログでは『恵まれている』

と表現していると思う。

 

しかし、ぼくは一概にそうは言えないと思う。

それと引き換えにしているモノが大きいからだ。

 

 

自分に対する責任を負わない代わりに、自分が失うモノ

それは自由だと思う。

 

他人やシステムに文句を言うということは、

自分がそういうモノのルールや約束や制限事項を守っているということだろう。

 

言うことを聞く代わりに守ってください、という取引をしているのだ。

 

だから、自分は向こうの言うことを聞いているつもりなのに、

向こうは自分を助けるべきだと思える。

 

この、「言うことを聞く」というのが

自分の自由にとっての大きな制限となっているのだ。

 

 

だから、自由が欲しかったら、

「言うことを聞かない」ようにする必要が有る。

 

そうすると、自分に対する責任は自分で負わなければいけなくなる。

 

実際は自分がどう思おうが自分に対する責任は自分で負うしかないのだが、

責任を負っていないと思い込むことは可能で、

それが自分を縛り付け、自由を制限されているように感じるのだ。

 

自分の選択したこと、言動によって実現したことは、

自分のこととして引き受けるということ。

 

自由には責任が伴う、

というのはそういうことだと思う。