自分の人生の操縦は自分以外出来ない | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

前のブログを読み直してみたけど、

何を言ってるのか分かり難いと思った。

自分は弱い。

そして、そんな自分にあれこれ注意し指図して来る「存在」が在る。

 

その「存在」の指図に従ってみる。

すると現実がその注意通りになるのを目の当たりにする。

 

この時、自分が経験するのは成功や達成と言った、

良い気分になるモノかも知れない。

 

だから指図に従うのが正しい生きた方だと思い込む。

指図に従う→成功/達成

みたいな法則を信じてしまう。

 

これは実は、

自由の一部を放棄することで、望む未来が得られる、

という取引をしているのと同じなのだ。

 

 

たまに失敗や挫折を味わうと、

あの「存在」が責めて来る。

それで自分は失敗や挫折をを怖れるようになる。

そして失敗しないように、より多くの指図を求めるようになる。

自分の努力はその方向に加速して行く。

 

それでも失敗したり挫折することは有る。

だから文句を言う。

 

取引内容と違う!と。

 

 

ここで大きな欺瞞が3つ有る。

 

ひとつはそんな取引をしたと思っているのは自分だけということ。

確かに契約書を交わしたり、約束を結んだことはない。

 

もうひとつは、望む未来が確実に得られる方法なんて無いということ。

 

最後に、自由は一部だけ諦めるなんて出来ない。

自由か自由でないかのどちらかしかない。

自由の一部を放棄するとは、自由を放棄することなのだ。

 

これは自分としては気付きたくないこと。

だから知らないふりをして今まで通り「存在」の指図に従う。

そして上手く行かないと文句を言うのだ。

 

自分は自分の人生の乗客で、お客様と言う訳だ。

自分は自分の人生の操縦と安全確保は「存在」にお任せだ。

 

どう考えても良いけど、

自分の人生を自分以外の誰かが操縦するなんて出来ない。

「存在」の指図に従っていたとしても、操縦しているのは自分なのだけどね。

 

こうやって自分で考えることを止めて行くのだと思う。

 

 

そのまま一生通しても良いと思うけど、

そう出来る人とそう出来ない人が、

どうやら居るようだ。

 

そのまま一生通せない人の話をしたい。

 

たぶん、何をしてても、いつでもどこかで違和感を感じるだろう。

自分の居場所はここで良いのか?

自分はこんなことをしてて良いのか?

他にやるべき事があるのではないか?

心が平穏では居られない。

だから良い気分になるため、

成功や達成を増やそうとどんどん努力する。

しかし、仮に成功や達成が増えても違和感は大きくなるばかりだ。

そしておそらく、失敗や挫折が増える結果になる。

 

その内、この状態を打破しなければいけないような状況に追い込まれる。

 

それは、病気かも知れないし、

状況や人間関係の変化かも知れない。

 

そして状況や環境が変わる。

それでも今まで通りの努力を続けるだろう。

それしか知らないからだ。

 

そしてまた失敗や挫折を繰り返す。

 

今までと同じ努力を止めるまでそれが続く。

 

 

そして努力しなくなって、

初めて自分の本心を知ろうとする。

 

なかなか分からないが、

本心を知ろうとする過程でいろいろ分かって来るだろう。

 

 

自分は成功や達成を望んでいた訳では無いということ。

 

自分の人生は自分が操縦しているということ。

 

自分の外に在ると思っていたモノは、

実は自分の中に在るモノを外に投影していただけだったということ。

 

そしてこれは推測だけど、

全ての感情は自分に対して感じるのだろう。

自分が信じ込んでいる概念や信念がその感情の元のようだ。

 

まだ分かることは有るかも知れない。

とにかく、気付くことで様々な制約、

実は自分で設けたものだが、

だんだんと解けて行く。

 

そして本来の自分に戻って行くのだろう。

自由を取り戻し、制限の無い状態で自分の人生の操縦を始めると言うか、

本当は今までも操縦はしていたので、

責任を持って操縦を続けるのだろう。

 

 

このブログで「存在」と表記したモノは、

人によって違うと思う。

 

家だったり、学校だったり、

親、家族、先生、友人、会社、先輩、後輩、恋人、同僚、

もしかしたら、社会、宗教、教育、ロジック、正義みたいなモノかも知れない。

 

大事にしているモノ、

信頼しているモノ、

尊敬しているモノ、

怖れているモノ、

憎んでいるモノかも知れない。

 

生きるエネルギーを得ている対象という意味で、

依存しているモノだと思う。