自分の外のモノはコントロール出来ないということを書いた。
じゃあ、自分の中に対してはどうだろうか?
自分の感情や考え、感覚といったモノ。
これらは自分から出て来るモノだから、
コントロール出来そうなものだ。
しかし、実際はどんな思考が湧くかはコントロール出来ない。
何を考えるかは選択出来ない。
思いついたことしか考えられないのだ。
これを読みながらピンクの象のことは考えられない、
と読むとピンクの象のことが思い浮かんだりしても、
ツチノコのことが気になることは無いだろう。
だいたいは、何かのきっかけを感じ取って、
それに関連することが思い浮かぶようだ。
感情も、何が出て来るか、
どういう感情を感じるかは選べない。
ちょっと時間も有るし5分程喜ぶか、
とはならない。
感情は出て来るに任せるしかない。
感覚も同じだろう。
何も無いのに、急に痛くなったり、カレーの味がしたりはしない。
全く何も出来ないのか?
と言えば、これらはある程度選択することが出来ると思う。
例えば、考えや感情は選べないとは思うが、
思いついた考えや感情を採用しないことは出来る。
あれはどうだったけ?
という気付いたとしても、
そのことについて考えないことは出来る。
感情もそうだと思う。
強い感情は難しいが、
弱い感情は放っておくことが出来るだろう。
気にしない、
ということが出来る。
感情は有る程度は、
出ないようにすることが出来る。
これは強く出て来る感情の場合に、
出て来なくさせたり、出て来てもより弱い感情に出来る。
ここではやり方は割愛する。
このように、
思いついた考えを考えない、
湧いて来た感情を感じないで放っておく、
感情を出ないようにする、もしくは弱くするというようなことは出来ると思う。
そういうことをして達成出来るのは何か?
と言えば、自分の中に平穏や平和、穏やかさと言った状態をもたらすことだ。
ここではそれを平常心としよう。
外で何が起こっても、
平常心で居られるという感じだろうか。
恐怖や不安や怒りなどに振り回されない在り方だ。
そして、自分がコントロール出来る、
自力で変えることが出来るモノと言えるのは、
実際はこれくらいしかないのではないか?
というのが、この間気付いたことだ。
なるべく、平常心の自分で居て、
冷静な状態で状況や環境に対応する。
出来ることを最大限したら、
後は成り行きに任せる。
仮に結果が悪くても、
平常心でそれを受け止め、
そこから出来ることに注力する。
決して、自分や他人を責めたり、
状況や世界を呪ったり、
自分の不運を嘆いたりしない、
ということ。
ぼくが出来ることで最善のことはこれだろう。
その先には自分が望む平常心で居られるようになるのなら、
実は、ぼくの人生の目標ってとてもシンプルなんじゃないか!?
ありがとうを唱えながら急に気付いたのだった