ありがとうを唱えるということをしている。
それが25万回に到達しそうな頃に気付いたことが有った。
出来ることと出来ないことが有る。
と言うか、出来ることって本当に限られている。
他人だったら、話しをしたり、手助けしたり、暴力を振るったりと、
いろいろな方法はあるだろうけど、その人を思い通りにすることは出来ない。
自分が思ったことを他人に伝えて、それをその人がやったとしても、
注意深く見ればそれはその人が自分の判断でしただけだ。
誰かを変えよう、しっかりさせようと思って何かの働きかけをしたとしても、
その人がしっかりするかどうかは分からない。
しっかりしたとしたら、それはその人が自分で変わったのだ。
他人もそうだし、物品や自然物や構造物などのいわゆる物、事柄、
そういった自分以外のモノに対しても、
働きかけること、何かのきっかけを与えることは出来ても、
その先その人やその物や物事がどうなるかは自分ではどうしようもない。
じゃあ、何をやっても無駄なのか?
と言えば、そうではないだろう。
働きかけることをしなければ、何も変化は起こらないだろう。
自分の外に働きかけることは出来るのだ。
それによって何かが起こるかも知れない。
何かの影響を世界に与えていると言えるだろう。
それだけで世界を変えているのだ。
ただ、それによって自分の思う結果がもたらされるかどうかは分からない。
自分の外のモノには影響を与えることは出来ても、思い通りには出来ないだろう。
自分の中は思い通りに出来るか?についてと、
ありがとうを唱えていて気付いたことについては別にまとめた。
