物事が上手く行かないとか、
他人に酷いことを言われたとか、
災難に有ったとか、
将来が不安だとか、
そういうことで辛いと言うのは、
表面上の理由に過ぎないだろう。
そのことが理由で自分の何かが損なわれたと感じるので、
と言うか損なわれるに違いないと信じているので、
そう感じていると勘違いしているのだ。
そういう風に信じているのは、
後天的に得た情報だ。
誰かに教えられたとか、
周りの人の空気から自分で察したとか、
そういうことで信じ込んでいるのだろう。
そんな思いの根拠になっている、
自分の信じ込んでいること、
つまり自分の信念は、
自分はそのままでは無価値で無力な存在だということ。
何かに価値が有るかどうかなんて、
それをどう見るかで全く違ってしまう。
だから、自分の価値なんて、
自分で有ると思っていれば有るというようなモノだと思う。
だから、無いと思ったら無いことにもなる。
自分の価値を信じるのに、根拠を求めるからおかしくなる。
自分の価値が有るなら、証明出来るはずだ、理由が有るはずだという訳だ。
だから、何かを成し遂げたら自分を信じようとなって、
何かを成し遂げたとしても、それまでに失敗してるとダメとか、
自分の価値をなるべく認めないように採点しているという姿勢もあって、
採点した総合点を見て、自分には価値が無いと信じるのだ。
そうじゃなくて、どうせなら採点なんかしなくても良いだろう。
どうしても採点したいなら、その評価基準を思いっ切り下げれば良い。
生きているだけで丸儲け、
というのは正にこのことを言っているんだと思う。