個性っていうのがね、
ぼくはずーっと悪いモノ要らないモノと思ってた。
会社で働いていたときは、
自分が居なくなっても仕事が滞らないような
仕組みを作り上げることが大事だと思ってた。
自分が居なくても会社が回るという状態が良いと思っていた。
自分は部品のひとつに徹することが最高の仕事だと思っていた。
良い歯車になろうとしてた、と言うか。
だから、上から指示されたら、反論や提案なんてしないで、
スーッと指示通り仕事が始められ、期日までに終わらせられるのがプロだと思っていた。
逆に言えば、個性的な人、悪く言えば癖の強い人は必要悪だと思っていた。
その後、いろいろな病気になったりして、
自分は仕事が出来ないポンコツだったと気付いて、
その後に、自分は癖が強いタイプだったと気付いて、
会社員時代は相当無理してたなと思った。
だから病気になったのだろうけど。
良い人や有能な人になりたいと思っていた。
そういう人が居ると思ってた。
でも、実は良い人や有能な人というのは幻想だと分かった。
実際には存在しないのだと。
こういうのは、人が考え出した概念でしかないので、
一時的に誰かのことをそう言うことはあっても、
実際に良い人や有能な人というのは居ない。
それはその人のある一面を指して言っているだけなので、
その人まるまる一人、その人全体が良い人というのは居ない、
と言った方が分かり易いかも知れない。
長所や短所と言うのも同じ原理で、
誰かの特徴を他人が良いと思ったら長所、
悪いと思ったら短所と言うだけ。
観る人が違ったら、
あるいは同じ人が観ていても、状況が変わったら、
長所と短所が変わったり、
入れ替わったりするだろう。
長所や短所はコロコロ変わりそうだけど、
同じモノを特徴と言い換えると、
あんまり変わらないような気がする。
そして、その人をその人たらしめるモノは特徴だと、
言えるかも知れない。
本質的にはそうではないと、ぼくは思っているけど、
こと他人との比較の上ではそう言えると思う。
特徴が個性となる、と言うか。
だから、他人と比較して優劣を問題にするのでは無く、
如何に自分らしいか?に価値を見出すと言うか、
面白がれると、自分を受け入れ易くなるだろう。
そういう人が沢山居れば、世界が変わるだろう。
生きやすくなるし、自由の許容範囲が広がる気がする。
そういう文脈において、
人の特徴(個性)を、
伸ばすような教育や、
良しとする社会や人間関係が
今後どんどん構築されて行くと良いと思う。
長所だろうが短所だろうが特徴こそ財産、と言えるような。
また、そういう場所で楽しく生きて行けるような自分になりたいと思う。