全体を観ながら細部を観る | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

年末から体調が悪い。

 

何だか身体中いろいろな場所が痒いのだ。

 

 

こうなると、腕が痒いとか、足が痒いという感覚ではなくなる。

あそことあの辺とあの辺に来てる、みたいな感じになる。

 

痒みというのは、何か独自のネットワークを形成している気がする。

その一ヶ所が痒くなると、同じネットワークの別の場所も痒くなるみたいな傾向が有るようだ。

 

ネットワークは、身体のいろいろな場所に散らばってる場合も有るし、

比較的近い場所に集まっている場合も有る。

 

へその横と左肩甲骨の上と左肩の前側とか、

右の尻の上の方に何か所のように、

バラバラなのだ。

かと思うと、痒い部分を掻いていくと一本の線になったりする。

 

同じ痒みネットワークの点同士には、

痒いという以外に共通点は無いように思える。

 

何でそうなるのか?

感覚を感じ取っている脳の場所が近いのだろうか?

とか妄想するがよく分からない。

 

 

同じように、筋肉痛のような痛みにも同じことが言えるような気がする。

 

最初腰の左側が痛かったのに、押したり揉んだりしてたら、

痛みが左尻や左太腿に痛みが移動する、みたいなこともよく有る気がする。

 

 

見た目や機能によって、

人は自分の身体を部分に分けて考える。

 

腕とか頭とか言って分けて考えようとする。

 

ぼくは聴神経腫瘍という、耳の神経の近くに腫瘍が有るが、

最初は耳が聞こえ難いという症状から耳鼻科を受診したが、

脳神経外科に回された。

 

しかし、聴覚の検査はまた耳鼻科に行くのだ。

 

こういうことに何となく違和感を覚えるようになった。

 

 

身体って、違う部分の集合体のように考えていたけど、

考えてみれば、脳が無ければ動けない訳だし、

心臓が止まっても死んじゃう。

肺も肝臓も無いと生きていけない。

 

このように身体というのは、実は不可分なモノなんだと思う。

 

それを分けて考えようということに無理が有るのではないか?と思う。

 

昭和の時代以前は、

最寄りの町医者に全部診てもらっていた気がする。

そしてそっちの方が安心出来た気もする。

 

 

病気の症状が出ると、症状を治そうとする。

そしてそのために、まず症状を詳細に知ろうとして研究されるようだ。

その結果、専門が細分化されて、自分の狭い専門のこと以外は分からないみたいになっている。

 

こういう在り方は、身体も分断して捉えているが、

その前に人間の心と身体は別物という大前提が有るようだ。

その上で、身体を徹底して物として観ている気がする。

 

最近、ぼくが興味を持つモノには、

立腰体操にしても、フラットアース説にしても、

常識を疑い、症状や現象と言った目に付く部分ではなく、

その仕組みや本質を知ろうとするアプローチと言うか精神が感じられる。

 

全体を観ながら細部を観るみたいな感覚。

それが面白いように感じる。

 

何かを知ろうとすると、

自然とそうなるモノなのかも知れない。