今朝、まどろみながら、考えるでもなく考えていた。
次元って何のことか?
自由の度合いじゃないかな?と思った。
1次元は、自分と他者だ。私とあなた。
こっちかあっちか、その間のどこかかしか選べない。
選択の自由度が”1”ということ。
1列に並んでいる感じ。距離的なバリエーション。
2次元は、自分と他者と第三者だ。私とあなたとそのどちらでもないあの人。
こっちとあっち。そしてその間ではない別の方向のそっち。
こっちかあっちかそっちか、その広場のどこかかしか選べない。
選択の自由度が”2”ということ。
1階に居る感じ。平面的なバリエーション。
同様に3次元は、
選択の自由度が”3”ということ。
1つのビルの中に居る感じ。立体的なバリエーション。
4次元は、
選択の自由度が”4”ということ。
1つの時代に居る感じ。過去現在未来みたいな時間的なバリエーション。
5次元は、
選択の自由度が”4”ということ。
1つの国に居る感じ。言語や価値観みたいな意識的なバリエーション。
6次元は、
何だろう?ピンと来ないから、
ぼくは5次元以下の存在なのかな?
つまり次元が上がるというのは自由度が大きくなることを意味する。
こっちとあっちにしか行けなかったのが、
2階に行けるようになったり、外国に興味を持ったり。
自由度が大きくなるというのは、神経質になるという感じもする。
感覚が鋭くなると言うか、自分と他者の相違点がどんどん分かるようになる。
だから、その違いを認めないと共存出来ない。
神経質になるほど、他者に寛容になる必要が出て来るというのは、
わざわざ違いを認識した上で、その違いを気にしないということで、
何か無茶な注文をされているような気がしないでもない。
そうやってどんどん次元が上がって行き、自由度が大きくなる終着点はどうなるのだろうか?
結局全ての要素がバラバラで比較出来ないってなる気がする。
それは実は0次元ということじゃないかな?と思った。
究極の自由は不自由なんだな、
と思って「何か」が分かったような気がして我に返った。
我に返った瞬間に、
分かったと思った「何か」がスルッと逃げて行っただった。