どうやら、昨日の地震の影響なのか、大地からとても多い量のエネルギーが溢れているみたいで、足のエネルギーポイントがくすぐったくて、笑ってしまいそうです。そして異常に眠い。。眠すぎる…

授業で寝てしまわないようにと願うばかりです。今日やったら、次が講義のラスト。やっとここまできたな。

ちょっとしっかりしなきゃ!



ここまで来るのに長かったなぁ、と、少し感慨にふけっています。ナツカです。当時は響きでナツカって名前にしたけれど、今考えると、夏化って字が浮かんできて、さてなんだろうなぁって思う。

準備は万端。大切な大切な鍵を貰った。この鍵をずっと焦がれていたんだなぁって思う。その準備ができたから鍵を貰えた。今はもう、その鍵はカナリ馴染んでる。大切に、そして、それを動かすのは誰でもない自分。そう、自分なの。

流れ、っていうのがあって、それは勿論、愛に基づいたものなんだけど、自分に無理のなく、ただ、自分が笑顔でいられるような、自分の光の為であるような、そんなことをシンプルに選択していけば、必然とそこにたどり着く。自分に嘘をついたり、無理な我慢をしたり、スムーズじゃなかったものを無理矢理スムーズに変えようとしたり、流れを強引に変えようとしたり、そうすると、元の流れに戻ろうとするみたいで、ゴチャゴチャと厄介なことが起こる。


自分が笑顔でいれば、ただそれでいい。難しいことは考えない。必死に頑張らなくていい。笑顔でいる自分から、溢れた光があるならば、それは、誰かを笑顔にして、そしてその光は伝播して、たくさんの人を幸せにする。まずは、自分が笑っていなければ、なんの意味もない。

だから、自分が笑っていれば、ただもうそれだけでじゅうぶん。そう、幸せになるために、笑顔になる為に、私たちは生まれてきた。みんなそう。みんながそうなれば、地球はもっと光にあふれる。

こんなに簡単なこと。
ある人にとっては難しいかもしれない。でも、笑顔でいるって、本当はとってもシンプルなことなの。

でも、それは決して、自分の為だけで、他人はどうでもいいとか、そんなことじゃない。それだけは違う。


それから、
ある一定の人たちに言いたい。
藍色やクリスタルに。
もう戦う必要はない。
他人を優先にしないで、自分優先に考えていい。それが、光へ繋がる。あなたたちなら大丈夫。
そんな言葉が浮かんだ。


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相方と付き合って今日で一年たちます。お寿司を食べさせてもらいます。そんなわけでデートにいってきます。濃ゆい一年だった。まぁ、今年も濃ゆいか。
びっくりした。
人って、集合意識でつながってるんだね。
ちょっと笑ってしまいました。
グループのしわざなのかシンクロなのか。
まあ、真実はしったこっちゃないけどね(笑)


そうそう。
へ?
なんじゃそりゃ!
って、なったのね。
遠い遠い、あの場所がここ、っていう状況で、感慨深い気分にひたっていた所でした。


何も知らずえいやあ!と自分の意思で選択した訳なのですが、まぁ、最初から決まっていたのだと思うのですが、大きな大きなこのうねりに乗っていたら、あれれ、何時の間にか、そこに着いてしまったようで。

ええ、勿論、これから先、は、まだまだたくさんあります。幾重にも別れた枝のように、それはもうたくさん。どれもこれも、とてもとてもながーい道がのびています。でも、それも今までとなんらかわりのない世界。

うん、そうなのよ。



あの言葉は、”work”って、言葉がついているけれど、いいや、ちっともworkじゃなかったわけです。

あるひとは、ずっとそこに向かって進んできたわけですが、果たしてその行為がどう在ったらステキ!なのかって言うと、ちっともworkなんかじゃなかった。ほんとにね。


どうやら”そこ”は『ここ』らしい。
随分長い道のりだったけど、ようやっと気付いてしまいました。
まあ、条件であるとある準備が、整ったことが前提かな。
今年のこれがきっかけだったかな。


その言葉も、過去の世界のことも、どんな形も、格好も、方法も、必要なふりしてて、いつでもそうだったから、気づかなかったのかな。


きっと、まだまだずーっと、ずーーーっと先のことだから、けっか?を私は見ることができないだろう。


うん。ただ、そのうちのひとつの答えに辿り着いてしまったようです。
ずーっとずーっと先だと、思っていたのに。
この命を終える少し前くらいにたどりつくかなって、そのくらいだったのに。

ふふふ。
すべて、順調に。


ああ、うまいことばが浮かばないなぁ。

こんなに簡単なことだった。
ここにたどり着くのに、こんなに大変なおもいしたけどね。
こんなに簡単なことだった。



ギフトは、選ばれた特別ではない。
選ばせて貰った、からギフトなんだろうな。

そう強く思った。

だから受け取る権利があるし、
そんな自分を許可してよい。

そして、そのギフトは、私にとって、一部であり、全ではない。



雨が降っています。小学生が黄色いレインコートに、ピンクの傘をさしています。ピンクの傘がくるくる回っている。その後ろで黄緑の傘が左右に揺れてて、そのまた後ろを桃色の傘がくるくる回ってる。その間を横切った大きな赤い傘は、静かに前に進んでいました。信号は赤になる。


貰って、与えて、貰って、与えて、
人は学ぶのかもね。


4/25、私にとって変化の日でした。
ここに全てを書くことはできないけど。(こうゆう記事が増えてゆくのかな)

あまりにも衝撃的過ぎて、そして、それは好転しました。


私たちは、様々なギフトを手にした時、その時人は、丁度見合った魂をしているのでしょうか。

生まれてはじめて、憧れのものを受けてきました。私が前に主張した、イギリスで医療と同じ感覚で受けられるあれのことね。

ああ、私はここに望んで居るんだなあ、って思い直した。ここに居ていい人間なんだ。今、この時代、この場所に。光として。


栄養とたくさんの水が、必要のようです。
これからまだまだ大きく育ちそうね。

ただただ、感謝と愛を感じます。