カラスが一羽
私の心臓を抉った
曇り空に羽ばたいていって
遠く小さく見えなくなった

白い言葉で
どれだけ飾っても
この空虚はありのまま
長い前髪に隠された瞳は
今でもカラスの行方を追っている

目蓋の裏で
数えるカラスの羽



もう遠く
ずっと遠く
手の届かないどこかに
私の心臓があるって

どこにも還れないまま
胎内で朽ちて



帰れないまま





朝の八時半から夜の八時半まで、ひたすら現アパートと新居(エレベーター無し五階)の約15分間の距離を往復し続けました。これは下手に助っ人を頼まなくて良かった。身体ガタガタ。

明日は大きな荷物を運びます。
もう寝ます。おやすみなさい。

ねむいです。
明日明後日引っ越しです。

まぁそんな感じです。
頑張って頑張って頑張ったところで、残念ながら人間なので、結局飽くなき欲求を抱えた我々は何を得られることもないのです。そもそも最初から何も無いですからね。我々が作り出した故に我々は存在する。ンと、ナントカ故に我在りだっけ?


きっとそれに気づき享受した時点が登頂点。
ならば長い長い、長い坂をゆっくりゆっくりと下れば良いのかもしれない。人というものは死ぬ。生まれたらあとは死に向かうだけ。ならばその坂をゆらりゆらりと、人間らしく探し求めながら、迷い、時にコケたり少し走ってみたり休んだりして、下って、歩き過ごす。


坂を上っている時。それは瞬きのような速さでカウントしてしまう。まるで一瞬間。目標に向かっているこの一瞬間は若い。がむしゃらに、がむしゃらに。やがてがむしゃらの先に、この道が何なのか悟った時に、人は登頂点を打つ。そしてゆっくり、ゆっくりと下りながら、上らなければならない脅迫観念から解放され、ゆっくりゆっくりと下り坂を歩みはじめる。帰る場所が見えないどこか先にあることを感じながら。郷愁はきっと、上り坂の景色そのもの。

自分が歩るいていることを、知る知らないにしろ、その下る歩みはきっとゆるやかだ。急いで滑り落ちないように、ということを知っているから。

ゆったりとした下り坂はなかなか愛しいものです。



なんて、この記事書いてて、3年前に探し求めていた表現がやっとまとまった気がする。3年前の冬のわけのわからない郷愁を題材にした原稿に筆をおろせそうだ。

喫茶店にこもること一時間。
決めたいことがやっとまとまり決まりました。
ノートがガツガツになった。


頑張ろ。
なんかこう、日々考えてることはたくさんあって。実行するのはほんの少し。

3月開始までに決めたいことがあって、まだ決まらない。長いこと悩んでるんだけど。

最近苛々してばっかだったなぁ。
枠なんて作るからはみ出た時に苛々する。


とりとめもなく、文は散る。



昔から言ってるのに、なかなか素直な人間になれません。ツンデレ過ぎかな。


とりあえず、決めよう。
じゃないと多分落っことす。
欲しいものが掴めない腕なんて要らないわけですし。