チベット旅行記 / 河口慧海 | のらくろの人生いろいろ

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カルト団体による集団ストーカーの組織的嫌がらせに負けないよう、日々つとめています。

Amazonをチラチラと見ていたら、
無料で読める河口慧海「チベット旅行記」があった。
これはだいぶ前から興味のあった本。

無料というのにときめいて(笑)、
スマホにKindleアプリを入れ、
データをダウンロードして読んでみた。
文字を大きくできるのは老眼にはありがたい。
ページも紙の本よりめくり易い。
しおりが挟めるし、
マーカーも塗れる。
分からない語彙もすぐに検索できるので、
その便利さに感動し、
Kindle本体もメルカリで中古で購入して、
本格的に読むことにした。

 

 

これは黄檗宗の僧侶である河口慧海が、
日本にある仏典の矛盾に疑問を感じ、
サンスクリット語の原典を求めに、
当時鎖国されていたチベットへ入国した旅の記録だ。
旅は1897年から1903年の6年間で、
チベット滞在はそのうちの3年のよう。

お坊さんの書いたものなので、

堅苦しい文章かなと思って読んでいたら、
そんなことはまったくなくて、
旅の楽しさについてしっかり書かれてあって、
非常に面白い人だと思った。

船でカルカッタへ行き、
一年ほどチベット語の予習をし、作戦を練って、
ネパールからカイラス山を通って、
当時鎖国されていたチベットへ入国していく。
そのためのルート作りなどもスパイさながらで、
本物の求道者というのがよく分かる。

旅の描写も目に見えるように伝わってくる。
(YouTubeの資料動画も参考にしましたが・・・)
過去に読んだ「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(ハインリヒ・ハラー)や
「チベットを馬で行く」(渡辺一枝)よりも映像が目に浮かんできて、
一緒に旅しているような感覚になった。
苦労話を笑い話に変えられる、
素晴らしい人柄なのかもしれない。

寒い雪山で寝たり、獣に注意したり、
強盗がいたりと、
お供も馬だったり、羊だったりで、
まるで西遊記さながらだ。
旅の動機も大蔵経を求めてということで、
三蔵法師・玄奘とよく似ている。

そしてチベットにおける風習や風俗など、
幻想は吹き飛んでしまうほど、
現実を直視して見たままを書いてある。
良いことも悪いことも平等に書かれてあって、
今ならSNSで炎上するような表現もたくさんある。
でもだからこそ、信用することができる。
うわべだけをなぞったような、

当たり障りのない文章を読んでも
得られるものは少ないから。

ところで雪また雪、川また川、湖また湖・・・
という旅を見ていると、
中国がチベットを侵攻したのは
地下資源よりもむしろ、
豊かな水資源を求めてだったのではないか???
という考えにいたってしまう。
チベット高原はインダス川やガンジス川、
メコン川、長江の水源の地で、
関西における琵琶湖のようなもの。
地下資源の鉱物は金儲けになるかもしれないが、
水は命の源で必要不可欠なもので、
そんな重要な土地を占領されてしまっては、
周辺諸国は大迷惑のはずだ。

また当時の日清戦争などの時代背景もあり、
チベットは中国のみならず、
ロシアやイギリス領インドからも狙われていたとある。
当然、日本も拡張主義の時代で、
慧海はスパイの疑惑を持たれてしまう。
結局、首府ラサのセラ大学では3ヶ月ほど滞在しただけで、
出国を余儀なくされてしまう。
ちなみに慧海はその後、
再びチベット入りを果たしているようで、続編も出版している。
まだ読んでいませんが、いつか機会があれば。

当時は鎖国のチベット入りを目指しても、
途中で息絶えていく求道者が多かったそうで、
ジェット機も「地球の歩き方」もない時代に、
よく何も分からない土地へひとりで出かけて行ったなと、
感心します。

仏教界でも尊敬されていることでしょう。

ところで、この本で初めて知った「断事観三昧」という言葉。
検索してもよく分からなかったですが、
問題にぶつかったときにやる瞑想のようで、
静かにじっと沈思熟考して、
次に取るべき手段を考えるということのようです。
情報をシャットアウトして三昧の境地に入る。
マインドフルネスとかの心を無にするというのとは違うようで、
集中して考えるアニメの一休さんを思い出します。
問題があって答がみつからないときにやってみようかな。
今は情報過多な世の中だし。