ブルース・イン・タイム/ジェリー・マリガン~ポール・デスモンド | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。

 

東京電力福島第一原発から放射性物質を含む処理水が

今月24日(木)より海に放出されています。

 

これをめぐり、中国が日本産の水産物の輸入を全面的に停止しました。

私の住む北海道では中国へのホタテ輸出額が半分以上を占める漁港があります。

他の水産物を扱う地域を含め、不安の声はこれから広がっていくでしょう。

 

それにしても、こうなることを政府は事前に把握していなかったのか。

25日(金)、野村哲郎農林水産相は記者会見で

これまでの経緯から「10都県は対象になるのかなと思っていた」としつつ、

全面的な停止については「大変驚いた。全く想定していなかった」と述べました。

 

処理水については中国が「汚染水」という表現を使い、

放出に反対する強い姿勢を示してきました。

そうであればなおのこと、放出した場合に向こうがどう出てくるのか

対話を重ねなくてはいけません。

表面上は激しく対立していても、そこは隣国同士。

情報はやり取りして決定的な対立に持ち込まないようにするのが

外交というものでしょうが、

最近の動きを見ていると「大丈夫か?」と思わざるを得ません。

 

本当に対話は重要だな・・・と考えているうちに

1枚のアルバムを取り出していました。

ジェリー・マリガン(bs)とポール・デスモンド(as)による

「ブルース・イン・タイム」です。

 

これはヴァーブ・レーベルお得意の「大物共演」です。

同じサックス奏者による共演ですが、2人のスタイルは全く違います。

太い低音を効果的にスイングさせるマリガンと、

リリカルな響きで「サックスらしからぬ」柔らかさを実現したデスモンド。

しかし、互いのスタイルを尊重して「対話」を積み重ねたことで

見事な音楽が生まれました。

 

その中でも「対話の進展」を感じられるのが

アルバムのタイトルにもなっている「ブルース・イン・タイム」。

早速、耳を傾けてみましょう。

 

1957年、8月2日と27日にNYで録音。

 

Paul Desmond(as)

Gerry Mulligan(bs)

Joe Benjamin(b)

Dave Bailey(ds)

 

①Bules In Time

デスモンド作曲のブルース。

アレンジにはおそらくコードレス編成を得意としてきた

マリガンが入っているのではないでしょうか。

そう思うのは冒頭の「仕掛け」です。

マリガンとリズム隊でイントロがつけられ、

マリガン主導で進むのかと思いきや、

デスモンドがスッと入ってマリガンがバックに回る。

この転換が2人の音色の違いを強烈に印象付けます。

ここからは短い小節交換による2人の「ソロ合戦」です。

と言っても「戦い」というよりは丁々発止のやり取りといいますか、

マリガンがゴリゴリと吹けばデスモンドが軽やかに返し、

低音と高音の対比が楽しめます。

2人が互いのテンポをやや速めて対話に力が入ってきた辺りで

いったんベース・ソロが入ります。

続いて3分40秒くらいからデスモンドの長いソロになるのですが、

ここから「位相が変わって」きます。

デスモンドにマリガンが乗り移ったかのように、

かなり鋭い音がアルトで発せられるのです。

特に4分40秒過ぎからデスモンドが発するクリアで力強い高音は

明らかにマリガンのハードな音から影響を受けていると思います。

ここまで「息継ぎをしない」デスモンドも珍しい。

これを受けたマリガンはリズムのブレイクをうまく取り入れて

豪快に歌い上げます。

面白いのはただ男性的なトーンに流れるのではなく

ソフトな進行もあることです。

7分台の「横に流れる」ようなフレーズ使いは

マリガンもデスモンドにインスパイアされたのではないと思わせます。

2人の「交感」を思わせるソロが続いた後、

ラストはラフな掛け合いで終わります。

ブルースというシンプルなフォーマットが

この対話を実りあるものにしたのかもしれません。

 

このほか、②Body And Soul も2人の対話が素晴らしいバラッドになっています。

 

処理水の放出が始まった24日以降、福島県内の自治体や飲食店、学校などに

中国からと思われる国際電話の着信が相次ぎ、

中国語を一方的にまくしたてられる、といったことが起きています。

放出を受けてのいやがらせと見て間違いないでしょう。

 

被災地をさらに追い込むようなこうしたいやがらせは絶対に許されません。

遠い道のりであっても中国政府と話し続け、理解を得ていかなければ

こうした悪質なケースは収まらないでしょう。

 

とにかく対話をあきらめないこと。

これは処理水を流すことになった日本の責任です。