TENS/ウォルター・ラング・トリオ | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。

 

世界的な「コロナ緊急事態」が終了することになりました。

 

5日(金)、WHO=世界保健機関が

新型コロナウイルスをめぐる世界の現状について

「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の終了を宣言したのです。

2020年1月から出ていたこの宣言、3年以上の時間をかけて

ようやく終わったことになります。

 

WHOは死者数の世界的な減少や、集団免疫の向上、

医療システムへの負担軽減などを踏まえて判断したそうです。

日本でもこの連休期間中、マスクをしていない人がかなり普通に見られるので

「いまさら」という印象を持つ人もいるでしょうが、

世界的に見て緊急対応の状態を脱したというのは大きな節目と言えると思います。

 

この3年間、いろいろあったよな・・・ということで1枚のアルバムを取り出しました。

ピアニスト、ウォルター・ラング(1961ー2021)の「Tens」です。

 

ウォルター・ラングはドイツ生まれのピアニストで、

祖父と父がピアノとアコーディオンを演奏していたことから

その影響を受けつつ育ちました。

アメリカのバークリー音楽院に進んでピアノと作曲を学び、

リック・ホランダー(ds)のグループを経て

1999年からは自己のトリオを率いるようになります。

非常に美しく、体に浸み込んでくるようなサウンドが特徴で、

さらに面白いのは日本のレーベル・澤野工房に

2013~2020年の間、6枚のアルバムを残していることです。

 

澤野工房はジャズ・ファンであればご存じの方も多いと思いますが、

大阪の下駄屋さんが作った小さなレーベルです。

以前、ちょっとご紹介しました。

ザ・ジョイ・オブ・スタンダーズ/ジョー・チンダモ・トリオ | スロウ・ボートのジャズ日誌 (ameblo.jp)

 

『澤野工房物語』(澤野良明著、DU BOOKS)によると

ウォルター・ラングは既にメジャーからリーダー作を何枚も出しているのに

何の前触れもなく大阪の下駄屋さん(=澤野工房)にやってきて

「サワノでCDを出したいから相談に来たんだよ」と言ったそうです。

何回か来日ツアーを行う中で、行く先々のライブハウスで

澤野商会からCDを出すようにアドバイスされた、と。

 

こういう話を真面目に受け止めて実際の行動に移してしまう

ラングもなかなかの人物だと思います。

そこから作品が生まれていくわけですが、「TENS」に関しては

新型コロナウイルスの感染拡大という事情が絡んでいました。

 

CDのライナーによると、ラングが予定していた来日ツアーがキャンセル、

ヨーロッパ圏内だけでの公演を余儀なくされたそうです。

しかし、ヨーロッパでのラングの知名度はいま一つで、

プロモーションの必要もあり録音したのがこの作品です。

 

コロナ禍での行動制限という事情があったのか、

過去の作品を取り上げて新しいアレンジで再演することに。

録音はドイツで行われ、現地のレ-ベルenja/Yellowbird Recordsと

澤野工房がコラボするという形で世に出ることになりました。

 

コロナ禍はいろいろ大変でしたが、

皆が知恵を絞ってできることをやった時期が確かにあった。

あの時の工夫と優しさは忘れたくないものです。

 

2020年2月、ドイツ・ミュンヘンでの録音。

 

Walter Lang(p)

Thomas Markusson(b)

Magnus Ostrom(ds)

 

①The Beginning and The End

ラングのオリジナル。

非常にラングらしい抒情性と美しさ、そして優しさが感じられる曲。

ミッド・テンポで「そろそろ」と進んでいく冒頭部分は

繊細さがあり、日本人に受け入れられやすいのではないかと思います。

ソロはまずベースから。

トーマス・マークッソンは非常によく歌う、旋律的なソロを取ります。

このソロはそのままテーマの一部かのように感じられる。

そしてピアノ・ソロへ。

ブラッシュ・ワークに乗ってテーマの続きのように「そろそろ」と入ってくるラングは

ゆったりとしたテンポを愛でているかのようです。

やがて徐々にスケールを増していき、リズム陣も少しスピードを上げていきますが

躍動感を湛えても繊細な世界はそのまま。

きれいな小川の流れのようにも感じられる演奏が続いてきます。

コロナ禍の初期段階にあってこんな美しい世界を描き出したラングの胸には

どんな思いがあったのでしょうか。

 

⑤Snow Castle

こちらもラングのオリジナル。

ラングのロマンチックな面が強く出た作品と言えるでしょう。

ピアノのみのイントロが雪が舞うキリッとした寒さを思わせます。

そこにドラムとベースが加わり、ベースがフォークソング的なテーマを奏でます。

ベースという楽器の特性もあり、ここから演奏にぐっと温かみがでてきます。

最初のソロはピアノ。

ラングが得意とする穏やかでありながら現代的な躍動感があり

良く響くピアノです。

テンポが上がって大胆に歌い上げるところは

「小さく収まらない」ラングのもう一つの側面を知ることができます。

 

この他、ドラムのノリが良いリズムにピアノが気持ちよく合わせている

⑥Branduardi も聴きものです。

 

ウォルター・ラングはコロナの緊急事態真っただ中の

2021年に亡くなってしまいました。

なぜか詳しい死因をネット上で見つけることができませんが、

本当に惜しい現代の才能を亡くしました。

生きていたら日本ツアーで会うことができたかもしれず、残念です。

 

コロナ禍を生き延びることができた私たちは

いまを大切にしなければいけないと思いつつ、日常に流されがち・・・。

時にはこの3年間に生まれたものを思い出して

次の時代につなげていきたいものです。