企業であれば将来の回収見込みを読んで行われるのが投資の原則でしょう。これが、公的投資の場合は利便性という公共性を含んだ形での投資がなされます。その限りでは大目に見るのもしかたないかとされてきたのが日本であったのでしょう。
しかし、公的投資でも、あれば費用を垂れ流し続け利用増も見込めないものは無用の長物に他ならないでしょう。
このような投資の無駄を見るのが日本のいたるところで行われた港湾投資でないでしょうか。今、博多港で積んだ荷物が釜山港で積み替えられ世界各地に運ばれるというような事例も多く見られます。日本のスーパー港湾の立ち後れには目を覆うものがあります。
神戸港と大阪港を合わせた年間扱いコンテナ個数は釜山の半分にも届きません。東京と横浜港を合わせた個数はやっと釜山の6割程度、香港やシンガポールは神戸+大阪の5~6倍と大きく水をあけられています。
外国のいずれの港も1980年の頃には日本の神戸や横浜より扱い量の小さい港でした。
国際交易の増えた今になって日本とアジア各国でのスーパー港湾の差がついたのは投資の仕方の差であったことが今だから分かります。
10年以上前に興味があって友人たちとシンガポールの港湾を見学し話をうかがったことがありますが、ビジョンなどに驚きをもって聞き入ったものでした。
今後、日本の港湾施策、作ってしまったものをどうするのかも含め大変な見直しも必要なのでしょう。
今日のキーワード
”投資は回収できることが原則”