全国紙、地方紙、ミニコミ紙、雑誌、タウン誌、テレビ、ラジオ、口コミ・・・・、情報はいたるところに飛び交い、転がってもいます。
職場の情報も「報・連・相」あるいは通達や連絡、案内、朝礼、終礼、会議・・・・、こちらも知り得る場面が数多くあります。
同じ情報でも受け取り手は何らかの判断をします。「大きい、小さい、大変、安心、よかった、気の毒、問題あり・・・・・」これもいろいろな判断、評価がなされます。
情報を感知する、それを整理する、そして評価判断する。そこから意味のないものとして捨てる、自分のものとして加工する、あるいは利用する、進化させるなどと進んでいきます。
新聞にはそれぞれの社によって同じ素材でも角度の違った表現になることが常です。テレビはこれに輪を掛けてワイドショー化、客観性からは離れています。
様々な情報が飛び交うのは決して悪いことではありません。情報が入らないよりはよっぽどいいでしょう。
問題は感知する時に余分な脚色を捨てていき素材を丸裸にすることです。コアになるところと、伝達の間に加えられたことの仕分けを行います。そこからコアの素材とコアの素材をつなぐとはっきりと全体像となって見えてくることもあります。
トップ記事や特集記事などは社としての姿勢が含まれています。この脚色部分をそぎ落としてみます。そこから透けて見えてくる部分があるのでないでしょうか。
意外と隅の方に「見出しと小さないつ何がどこで誰がどうした。」という情報だけに意外な情報の宝になる素材があるようです。磨かないと売れない情報です。これを磨いてみれば意外と価値があります。
職場でも「現場に足を運べ」というのはこれと同じです。ただ足を運ぶのでは意味がありません。ものが置かれていることに何かを感じ、その本質を見抜くことに意味があります。ただモノが置かれているのでなく周辺の情報も集めつなげてみる、これが素材を整理することになります。脚色された情報は本質をオブラートに包んでいることが多いのは報道と同じことです。
素材をしっかりと確かめ整理、そして活かす情報にしたいものです。
今日のキーワード
”オブラートをはがしコアの情報を見る”