企業を「公」の存在、「公器」ととらえることはできないでしょうか。
ロジスティクスも需要すなわち人間生活にとって必需あるいは満足を高めるために消費されるものをタイミングよくコスト最小で循環させるシステムであることを考えると企業活動自体が「公」の存在であることは否定できません。現在ではリユース、リサイクル、リデユースやCO2排出量削減の取り組みを含めた環境問題や社会貢献なども企業活動の一つとされるくらい社会的存在であることが意識されるようになっています。
原始社会の家族共同体に始まる社会的存在を持ち出すまでもなく価値の交換が始まった時から人間の活動はそれぞれが社会生活で相互補完し合い、企業活動もその発展系として生産、サービスなどの専門分野を担当し社会活動の「公器」よして存在するようになったといえるでしょう。
「公」を意識した時、企業で働く個人も最終顧客の存在を考えざるを得ません。
この活動がどういう方々に届けられるのか、逆にこんなニーズを持った方々に私たちが提供できることは何か、リーズナブルなお値打ち価格は等々ひもといていくと企業の役割、自部署の役割、そして最適なロジスティクスが見えてくるのでないでしょうか。
また、働く人たちにとっての共同体、すなわち所属する企業が自分たちの生き甲斐を感じられる存在であるべきでしょう。生きることの意味をも示唆してくれるような存在であるべきでないでしょうか。単に儲けを絞り出す意識、生活の糧を得るだけの存在にならないよう心すべきでないでしょうか。
社会を意識することと社会を「気にする」ことには大きな開きがあります。社会を「気にする」企業は基本的な「公」意識に欠けたところといえるのでないでしょうか。
再度、こういったことを再確認しながらロジスティクスを中心としたテーマで日々の雑感を書き続けていければと考えています。
今日のキーワード
“社会的な存在の意味を意識して・・・”