だんだん梅雨に近づいている。


昔は雨が嫌いだった。

傘をさすのがめんどくさい。


子どもの頃の雨の朝は

長靴を履かせたい母と

かっこ悪い気がして

いつもの靴で学校に行きたい

私との攻防戦だった。


雨に濡れた服は

体に張り付いて重く冷たく

傘を畳む時には

手がびしょびしょになる。


雨が嬉しかったのは

苦手だった体育が無しになるかな?

と期待する程度で


雨は

雪より曇りより

嫌なもの。




大人になってからは

旅行の予定が決まったら

天気予報に一喜一憂。


雨のマークがないと胸を撫で下ろし

貴重な休暇が雨と重なると

私なにか悪いことした?

なんて思ったものだった。



そんな気持ちが一変したのは

昨年夏の屋久島への一人旅だ。


3泊4日の初日

標高1000メートルの場所で

文字通り


バケツをひっくり返したような

大雨に遭った。


屋久杉や苔の緑の森に

土砂降りの雨。


小学校の図書館で読んだ

「屋久島では一年に366日雨が降る」

という言葉を思い出す。


頭にかぶったフードと

木や地面や倒木のすべてに

容赦なく雨は叩きつけ

驚くほど激しい音を立てる。


急に増水した川の

ゴウゴウと流れる音と混ざる。



耳が役に立たない間に


屋久杉も苔も草もすべてが

雨を受けながら

緑の輝きを増していく。








雲や雨で暗いはずなのに

緑と木肌はキラキラと光り


それは見たことのない

美しさだった。


傘なんて役に立たない。


レインコートのフードをかぶり

私は、杉や苔と一緒に

ただ雨に打たれていた。




この雨があるから

岩の上に薄い土しかない

こんな過酷な場所でも

1000年を超える寿命の

屋久杉が育つのだと

ガイドさんが言う。


屋久島では天気予報は

あたらないんですよ

と島の人が笑っていた。


だって平地で晴れていても

雲がかかってる、あの山の上では

雨が激しく降っている。


そんなもんなんです、と。




いまは

天気予報の精度が格段に上がり

アミューズメントパークの

ピンポイント予報が出る。

予報は1時間単位で見られる。


Back To The Futureの映画の

パート2で見たように

何時何分何秒に

雨が上がるということまで

予報できる未来が

いずれ来るかもしれない。


それでも


屋久島の正確な天気予報は

きっと無理だろうな。

いや、無理のままであってほしい。



予報ができない天気は

人生と同じだ。


いつ

雨が降るか

曇りになるか

晴れるか

風が吹くか


いつ

誰と出会うか

大変なことがあるか

嬉しいことがあるか


わからないまま

人生は進む。


雨が降らないと思って

雨具無しで出かけてしまって

急な雨にびしょびしょになる。


思いがけず晴れ間が出て

濡れた服があたたかく乾いていく。


あっちが明るいから移動してみるか

と、雨をよけて、居場所を変えてみる。


そうやって暮らすことの

面白さ。




屋久島で呆然と

ただ雨に打たれ

雨に輝く木々の緑に

恍惚となった私は


雨が降ってきても

そう来たか。

今日は雨なのね。


と思えるようになった。




だから今

雨が好きだ。


雨の季節がやってくる。