今回は、パキスタンテロの件の話題ですね。
ISISと呼ばれる野蛮人共が我々の国民を殺害した事件です。
確か、以前にも日本人が拉致殺害された事件は有りました。
が、その時に関しては私も怒りはしません。
彼らは自己の意思と責任を持って戦地に赴き、自分の職務に殉じると語っていた。
国が再三に渡り渡航の中止を勧告したにも関わらずにである。
しかし、彼らは無様にも命乞をし、更には国家に身代金を払うよう集ったのである。
もしも命が惜しいのであれば、悪い事は言わない、安全な場所でのうのうと過ごせば良いのである。
幸運な事に我が国には安全な場所は数多く存在する。
凶悪な犯罪に巻き込まれて命を落とす不幸な国民は、他国に比して圧倒的に少ない。
命の危険を感じたくないのならば、我々はただ国から出なければ良いのである。
それにも関わらず、他国、それも戦地に赴く事は、命を賭して、日本人としての誇りと責任を持って行動するという事である。
それにも関わらず、彼らは虜囚の辱めを受け、命乞をし、本来自ら取るべき責任を国家に擦りつけた。
彼らは為すべきを為さず、為さざるべきを為し、日出ずる国の誇りを汚したのである。
命乞をする前に彼らはまず自らの舌を噛み切るべきであった。
しかしながら、今回のケースはそれとは異なる。
今回の被害者は、彼らの為すべきを為し、ただ日常を送っていただけである。
それを、蛮人共は殺めたのである。
かの蛮人共は卑怯者である。
彼らの蛮行を全て彼らの神の責任として押し付けているのである。
もし彼らの崇める神がその様な蛮行を望み実行させているとするのならば、彼の神は邪神である、悪神である、貧乏神である。
魑魅魍魎にも劣る存在である。
ただ、私は本来の彼らの神がその様な神であるとは思わない。
彼らの神は蛮行を働いた他の神を奉ずる蛮人にすら、赦しを与えている。
そして、彼らに一定以上の恵みを与えてもいる。
彼らの神が魑魅魍魎に劣る邪神であるとは思わない。
ただ、かの蛮人共が、神の言葉を騙って蛮行を繰り返しているだけである。
かの蛮人共は臆病者である。
彼らは自分よりも弱い者しか狙わない。
女、子供、老人、非戦闘員。
何故、彼らは彼らの信ずる強き巨悪に立ち向かわないのか?
答えは簡単である、怖いのである。
そう、彼らは臆病者なのである。
その証拠に、正規軍相手には蛮人共は逃げ惑う事しかできない。
我らの先人は、かつて世界の強者に戦いを挑んだ。
当時の強者に追い詰められ、自らの存続を賭けて牙を剥いたのである。
我々の先人は弱者を虐げるのではなく、弱者をも一丸となり戦った。
護るべき大切な人がいたからである。
それは決して欲望にまみれた感情ではない。
誇りと責任感の為せるものである。
そして、その誇りと責任感が、今の我が国の信頼と繁栄を形作っているのである。
彼らは恩知らずである。
かつての我らの先人は、世界を貪る白豚共に牙を剥いた。
結果として牙を折られた事は残念な事である。
しかしながら、白豚でなくとも白豚に一矢報いる事が出来る事の前例を示し、被植民地の民衆に勇気を与えた。
その結果、植民地と呼べる地域は地球上に数えるほどとなった。
我らの先人が世界中の多くの人間を間接的、直接的に白豚の奴隷から解放したのである。
そして今、彼らのほとんどは解放民である。
もしも、我らの先人がいなければ、彼らは未だに白豚共の奴隷である。
それを顧みず、我らに牙を剥き、我らの国民を危険にさらすのであれば、それは白豚共がかつて行った聖女殺しに匹敵する蛮行である。
彼らは恥知らずである。
神の名を騙り蛮行を重ねる事で彼らの神を汚し、邪神に貶めているのである。
そして、真っ当に彼らの神を信ずる人民を邪教徒同様に貶めているのである。
彼らと同じ神を崇める者は、彼らを滅せなければならない。
自らの神が邪神ではなく、自らが邪教徒でない事を示す為に。
自浄作用のない集団はハエの集る糞にも劣る存在である。
誇りある真っ当なイスラム教徒諸君が積極的に自浄作用を発揮し、汝らのガンの治療を行う事を強く要望する。
さすれば、キリスト教徒などからの不当な暴力を受ける事もなくなるであろう。
彼らは信仰心を持たない。
彼らは欲望により行動する。
食欲、性欲、物欲、支配欲。
欲望が彼らの行動指針であり、行動規範であり、全てなのである。
彼らにとっての神は、自らが欲望を達成する為の道具に過ぎぬ。
彼らは彼らの手によって、彼らの神を最大限の侮蔑を持って迎えているのである。
それは、聖なる地を糞と死骸と放射線で埋め尽くす事と大差のない蛮行である。
彼らには崇高な理想もない、高貴な信仰もない、確固たる誇りもない、ただあるのは醜く歪んだ欲望だけである。
彼らの中には信仰の為に死ぬ者もいるという。
だが、それも何の事もない、欲望の為である。
彼らは、神の為に死ねば、処女を好きなだけ犯し、酒池肉林で過ごせると教えられているのである。
究極の俗物なのである。
臆病で、恩知らずで、恥知らずで信仰心を持たない蛮族共よ、我が日出ずる国の民は屈しない。
もし、お前達が我々の命を摘み取るのであれば、お前達は我々の誇りの光を目にするであろう。
それでも、お前達の考えを変えないのならば、地獄に堕ちるその日まで、死の恐怖に震えるがいい。