平和憲法?戦争法案?逆じゃない? | sleepingdragonxのブログ

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こんにちは。お久しぶりです。

さて、昨今は参議院選挙もあり、色々と騒々しいですね。

先の安保法制などの件もあり野党がギャースカ吠えてますね。

「戦争法案反対!」と。

当然私も戦争なんてまっぴらごめんですよ?

そんなもん、ないに越したことはないじゃないですか?

ですが、ですがそうしないと自分の国、ひいては自分の大切な人、ものが守れないならば仕方がないですよね?

さて、そもそも、一般的に平和憲法と呼ばれている「日本国憲法」ですが、本当にそうなのでしょうか?

日本国憲法の前文にはこのような記述があります。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

さて、「平和を愛する諸国民」とはどこに存在するのでしょうか?

韓国ですか?

平和を愛する諸国民は他国の領土を不法占拠し、その近辺で操業していた漁民を拉致し、惨たらしい方法で虐殺したりなんかしません。

北朝鮮ですか?

平和を愛する諸国民は他国に向かって何度もミサイルを発射したりなんてしませんし、他国に工作員を潜入させ、その国民を拉致なんてしません。

中国ですか?

平和を愛する諸国民は他国の領海を積極的に侵犯したりしませんし、自国民の少数民族を弾圧したりなんてしません。

ロシアですか?

平和を愛する諸国民は死に体になった国を騙し討ちにして領土をかすめ取り、延々と不法占拠を続けたりなんてしません。

アメリカですか?

平和を愛する諸国民は80年以上も絶え間なく戦争を続けることなんてしません。

では、どこに平和を愛する諸国民というものが存在するのでしょうか?

答えは、「日本の周りには存在しない」です。

そうなのです。

日本国憲法というものは、その前提からして破綻しているのです。

が、やはりその状況においても平和はぜひとも守りたいものです。

では、どうするか?

戦争をできないようにしていればよい?

まあ、もしも戦争でない状態を平和と定義するならばそれも一つの手段でしょう。

確かに、軍事力と軍事力の衝突を戦争とするなら、片方が軍事力を持たず、抵抗もしなければ戦争は起こりません。

ですが、敵の軍事力に一方的に蹂躙され、虐殺され、強姦される、それが平和だと言えるのでしょうか?

私はそうは思いません。

我に戦争の意思がなくとも、敵にその意思が存在し、その能力を有しているならば、そういったことが簡単に起こりえます。

中国によるチベットやウイグルの虐殺を見れば、それは火を見るよりも明らかでしょう?

では、どうすればよいのでしょうか?

最も現実的な方法は、戦争をするメリットを超えるデメリットを作ってやることです。

例としてスイスを挙げましょう。

スイスは永世中立国です。

それは、他の国と同盟を組まず、自らの国を自らの力で守るという宣言をした国です。

さて、スイスは平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したのでしょうか?

確かに、今のヨーロッパ諸国に領土拡張の野心があるようには思えません。

が、当のスイスは一切そのような期待を持ってはいません。

例えば、スイスが他国の侵略を受けたとしましょう。

スイスは国民皆兵の国家です。

国民一人一人が自動小銃を割り当てられ、彼らは最後の1人まで戦います。

そして、敵が将来利用できる全ての我の資産を焼き払う焦土戦術を実施します。

そもそも、スイスの主産業は金融業であり、人がいなければそもそも機能しない産業なので強固な意志をもって抵抗されれば、その産業を手に入れるメリットを享受できません。

更には、アルプス山脈という天然の要害に位置し、攻め難く土地としての利用価値も低いというおまけもつきます。

つまり、スイスと戦争した国は多大な犠牲を払い、険しい山脈の上の荒野を手に入れることができるのです。

嬉しいですね(皮肉)

これが個別的自衛権です。

今の日本人にできますか?

少し難しいですよね?

では、どうしましょうか?

そこで、集団的自衛権という考えが出でくるのです。

他の国と共同し、時には共闘し、必ず戦争をすれば損をする、という体制を作り上げるのです。

それをするための集団的自衛権の容認であり安保法制なのです。

現状としては、戦争憲法に平和法案というのが実質の状況なのではないでしょうか?


とまあ、たらたら書きましたがそういう考えもあるということを認識していただければ幸いです。