人生の価値って?(1月23日分) | sleepingdragonxのブログ

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今日は教育法の授業。
書類作成は漸くOKが出た。
まぁ、出来上がるのは遅かったが、恐らく他の奴らよりかは良いものが出来てるとは思う。
まぁ、単純な仕事の速さを速くするのと、分かりやすい資料作成を心がけないといけないな。

体調は、鼻水。

さて、今日の本題。
人生の価値って何だろうか?
何を成したか、どう生きたか。
自己満足の度合いも有るのだろうが、結局の所測り得ないものなのだろう。
そこでもあえて指標を探すのならばどうなるだろうか?
俺は、その人が死んだ時に泣いてくれる人の数が人生の価値の高低の指標となるのではないかと思う。
その人がいかに他の人に好かれているか、大切にされているか、必要とされているか、尊敬されているか、良い影響を与えてきたか、などなど。
その人が死んで本当に悲しんでくれる人がどれだけいるかで測れる部分もあるのではないかと思う。
もちろん、某国の様に葬式で泣くエキストラを雇うとかは可笑しな話だとは思うけどな。
さて、では改めて自分の場合はどうなのかと考えてみた。
正直俺が死んだところで悲しんでくれる人なんて殆どいないと思う。
数少ない悲しんでくれる人は、恐らく親だったり、親戚の一部くらいのもんだ。
しかも、その泣いてくれる人にしたって、俺が何か人生の価値を作ったから泣いてくれる訳では無い。
彼らは俺の存在自体に価値を見出してくれてる人なのである。
だから、端的に言えば、俺の人生は今まで殆ど価値を生み出していないのである。
そして、数少ない泣いてくれる人は、恐らくは俺よりも早く死ぬであろう。
であれば、俺は一人寂しくのたれ死ぬだけだ。
悲しいけど、それが現実だ。
俺だって価値を生み出すために努力をしていない訳ではない。
人並以上には苦労もしていると思う。
だが、俺の人間性もあるんだろうが、結果としてはこのザマである。
皆さんも人生の価値を作り出せているだろうか?
もしも、自分の為に泣いてくれる人がいるのならば、その人の為に更に頑張って貰えたらと思う。
俺にもいつかそういう人が現れればいいな。

今日はこの程度で終わる。
おやすみなさい。