俺の親父は毒親育ちだ。

その毒親とは今は亡き、俺のおじいちゃんである。

 

親父は10代の頃から実家の漁業を手伝っており、生活はほとんど家族と一緒だったそうだ。

その生活スタイルはもはや ザ・昭和 と言わんばかりで、おじいちゃんを中心としておじいちゃんのいうことは絶対であり口答えはもちろん、ただの意見さえも許されない環境だ。

しかしおじいちゃんの外での評判はとてもよく、とにかく優しく人望が厚い、そして時にはひょうきんな一面もみせユーモアあふれる人と言われていた。

しかし、地元のヤクザも恐れる腕っぷしとキレると何するかわからない恐ろしい一面もあったらしく男としても周りの人達はおじいちゃんを慕っていた。

おじいちゃんが亡くなって30年近く経つが、俺も地元で飲んでいるとおじいちゃんはすごかったとかいい人だったとか怖かったとか知らないおじさんおばさん連中に言われることもある。正直くそどうでもいいので流しているが。

 

周りに好かれている人ほど裏があるもので、家庭内ではまさにわがままな王様であり

妻であるおばあちゃんも、俺の親父もその弟もみんな機嫌を取りながら生活していたようだ。モラハラ野郎である。

 

高校を卒業した親父は漁師を継がず就職し、その弟が漁師をやることになった。

がしかし、弟はいわゆる社会不適合者で仕事は不真面目でありアルコール中毒で仕事も来なくなり、挙句の果てに問題行動を起こし続けて漁師を続けられなくなってしまった。

そしてここが謎なのだが、おじいちゃんは弟に関してはとても優しくそんなどうしようもない息子でもいつも居場所を作っていてあげていたのだという。

 

仕方なく兄である俺の親父が継ぐことにしたのだが、そこで待っていたのは学生時代に見たおじいちゃんの姿はかわいいもので理不尽、モラハラ、パワハラの限りを尽くす最低なおじいちゃんだったのだ。
仕事を教える気など一切なく、失敗すれば激昂し、家にいてもそれを引きずってドアを強く締めたり、無視したりと、次第に親父は自身もやる気も失っていったのだそう。

家でももちろんおじいちゃんと暮らしているので、仕事に支障をきたさないように顔色をうかがい続ける毎日にストレスがたまり、おじいちゃんが発する音すべてが怖くなってしまっていた。

 

漁師を継いで2年ほどたったある日、そんなおじいちゃんがガンになった。

闘病している間、親父はおばあちゃんといきなり二人で漁業を回さないといけないことになりとても不安に押しつぶされそうになる毎日だったという。

しかし実は手先がとても器用で要領が良かった親父は、周りの漁師のサポートもありなんとたった2~3か月程で回りが驚くほど成長し、その天才ぶりを発揮した。

そしてしばらくたち、短い闘病生活の末おじいちゃんは天国へ旅立った。

 

今現在でも親父はあの時ほど不安になったことはないし、あれを乗り越えて今の自分があり、自信につながったと話す。

それから親父はおばあちゃんとたった二人で漁業規模を拡大していき、みんなが認めるプロ中のプロになったのだ。

 

親父の人生はそこから始まった。

 

やっとおじいちゃんから解放された親父は仕事では先輩、後輩、自他ともに認めるプロになり、私生活では結婚して2人の子宝にも恵まれた。姉と俺だ。

 

親父の子育てのモットーはこうだ。

「親父みたいにならないこと」

俺から言わせるとふざけんなと一喝したいところだ。冗談じゃない。

 

このブログはそんなモットーで生きている親父の矛盾した言動で苦しんでる俺のストレス発散の場所である。