俺は漁師の家に生まれた。
子供の頃は朝起きると親父はすでに漁へ出かけていて、部活を終えて学校から帰ると父はすでに寝ているので学生時代は普段父と深く関わった記憶がない。
だから勉強がどうだ部活がどうだと口うるさく何かを言われた経験も無いし、ある程度自由に学校生活を楽しんでいたほうだと思う。
友達にも恵まれていた俺は休日はほとんど夕方のチャイムが鳴るまでみんなで自然の中で思いっきり遊んでいた。
だからと言って親父と全く喋らなかった訳でもなく、たまに家の中であったり一緒に外食したときは学校の話などを俺からしてコミュニケーションをとっていた。
しかし今思えば、そのころから親父の変なところは見えていた。
あえてここでは書かず後々の記事でゆっくり書いていこうと思う。
高校を卒業してからは実家の漁師をそのまま継ぐことも考えたが、その時親父は執拗に
「なんにせよ他の釜の飯を食って社会勉強してこい」と言ってきたので普通に就職することにした。
その時は、親父のそのセリフをありがたいと思っていたが後になって意味が分かった。
俺を思って言った一言なんかではなかったということを。
就職は田舎を出て一気に都会へ行くことになったわけだが、一言でいうとこの時期が一番楽しく自分らしくいれた時期だったのかもしれない。
猛勉強の末、誰もが知る大企業の本社へ勤めていたがその生活環境はまさに今の生活とは真逆であり、給料面では文句なしで休みも必ず1か月に有給を使わなければならないというとてつもなくホワイト企業だったのだ。
休みの日は友人と飲みに出かけたり旅行を楽しみ、仕事でも多少ストレスはあったものの社会人ならだれもが抱えるストレス程度のもので総評してとにかく楽しかった。あの日々に戻りたいと今でも切実に思う。
そんな中、実家から一本の電話が届いた。
おばあちゃんが脳梗塞で倒れたという連絡だった。
おばあちゃんはおじいちゃんが亡くなってから息子である俺の親父と二人で漁業を営んでおり、男の仕事も難なくこなす漁業のプロフェッショナルで仕事には必要不可欠な存在なのだ。
そんなおばあちゃんが脳梗塞で倒れたのは今回で2回目であり、これ以上無理させるわけにもいかず漁業を引退する形となった。
それにあたり親父は俺に田舎に帰って漁業を継ぐ気はないか?と言ってきた。
決して強制ではなく一人で今の規模を回すにはとてもきついため、俺が継がないなら規模を縮小する考えでいるとのことだった。
とても悩んだ結果、俺は今の環境を捨てて田舎に戻ることにした。
なぜなら今こうして幸せに暮らしているのも親のおかげだし、このまま一生都会で暮らしていくビジョンも正直見えなかったからだ。地元もとても好きだ。
都会に別れを告げ、片道切符を手に田舎へと向かう新幹線の中ではこれからどういう生活になるんだろうと20歳そこらの少年はワクワクしていた。
このあと地獄が待っているというのに。