NWOBHMが完全に収束した時代、
TORMÉ -
(so you wanna be a)STAR
12inch Maxi-Single (1986)
12インチのマキシシングルです。
このジャケットデザイン、昔から好きですねー。
黒⬛️と赤🟥の組み合わせがとてもキャッチーで気に入ってます。
対して裏ジャケットはこんな感じ。
なんだか曰く付き、ヤバめの写真たちですが、これについてはまた後で。
まずはプロモーション・ビデオからどうぞ
☟
ー・ー・ー・ー・ー・ー
※リトル・ジミー: 20世紀初頭に誕生したアメリカの新聞漫画のキャラクター。当初は自分がどんな仕事をしているのか忘れる、間違った時間に間違った場所にいる等頓珍漢なキャラクターだったが、後にドタバタを引き起こす子供のキャラクターとして1930年代にベティ・ブープのアニメに登場している。
※1984年: 多分ジョージ・オーウェルが1949年に刊行した近未来SF小説の題名。第三次世界大戦の核戦争後、3つの国に分割統治された世界の話。主人公が住む「ユーラシア国」では思想統制がかけられ全ての行動が24時間監視される等、国民の自由が完全に失われている。
※リヒテンシュタイン: リヒテンシュタイン公国🇱🇮のこと。ヨーロッパの小国であるが国際金融の中心。タックスヘイブン(課税免除)でお金持ちには天国のような国。一般国民には直接税がかからないとは羨ましい。治安も良いそう。
このシングル発売一年前のTVシューティングがこちら💁♀️
若干BPMが早く、演奏も荒い。
こっちの方が好きかも。カッコいいです。
TORMÉ - Star (Live on ECT 1985)
「Star」は、アルバム『Back To Babylon』(1985)からのシングルカット曲。
こちらの"赤ジャケット"は日本盤オンリー
日本以外の盤は"白ジャケット"でのリリースでした。
TORMÉ(トーメ)はその名の通り、アイルランド🇮🇪ダブリン出身ギタリスト、バーニー・トーメ(Bernie Tormé)のリーダーバンド。
バーニーはダブリンでローカルバンドに参加し、1974年にプロになろうとロンドンに上京。
その後ロンドンに吹き荒れた空前のパンクブームを目の当たりにし、自らのバンド、バーニー・トーメ・バンドを1976年に結成します。
これまでに影響を受けたジミ・ヘンドリックスや同郷のブルーズギタリスト、ロリー・ギャラガー
にパンク・ロックのエナジーを重ねた独特な奏法は、以降バーニーのトレードマークになる訳なんですが、
この奏法が後にいわれなき大きな批判にさらされることとなります。
自らのバンドを組む前から一緒に演奏していた巨漢ベーシスト、ジョン・マッコイと亡くなるまで何度もバンドを組む程の親友となるのですが、
そのジョン・マッコイが参加していた元ディープ・パープルのボーカル(当時)だったイアン・ギランのバンド、
ギランにNWOBHM旋風真っ只中の1979年に加入します。
GILLAN
脱退する1981年までにこちらの3枚のアルバムに参加しています。
GILLAN with Bernie Tormé -
Unchain Your Brain (1981Live)
ー・ー・ー・ー・ー・ー
余談ですがバーニー脱退後、ギランの後任ギタリストになったのが、NWOBHMバンド、ホワイト・スピリットのギタリストで、現在アイアン・メイデンのギタリストであるヤニック・ガーズ。
ホワイト・スピリット在籍時のヤニック・ガーズ(1975-1981 左から2番目)
ギラン在籍時の
ヤニック・ガーズ(1981-1982)
🎵全然関係ないですけど、このアルバムジャケットの二人の女性の佇まいが、なんともカッコいいんですよねー。
GILLAN with Janick Gers -
Bite The Bullet (1982 TV Live)
このせわしなさ、正にヤニック・ガーズの演奏スタイル!
現アイアン・メイデンのヤニック・ガーズ
(1991- 現在 右から2番目)
ちょっと脱線しましたが、バーニー・トーメは?というと、2年も経たずにバンドを脱退し、
なんと、飛行機事故で亡くなった超伝説的ギタリスト、ランディ・ローズ
の代わりとして絶賛アルバムツアー中だったオジー・オズボーンの後任ギタリスト(!)として、ライブに立つことになります。
当時から天才ギタリストとして名を馳せていたランディ・ローズ突然の死の直後。
誰がやっても批判されるのがわかっていて、オジー自身もモチベーションが下がっている状況。
誰もが手を挙げるのを躊躇するだろうこの場面でバーニー・トーメはこの難役を引き受け、
ランディ・ローズの死から10日後のコンサートから7公演をやり切ったそうです。
この時のオジー、バーニー双方の貴重な証言がこちらのローリング・ストーン誌のインタビュー記事に生々しく掲載されています。
☟
クラシックがベースにあるランディ・ローズの几帳面な奏法と比べると、やっぱりバーニーはチョークを多用したブルーズ/R&Rかつルーズな演奏法。
それが個性なんですけど。
多くの人がバーニーの演奏を拒否し批判した中、
当時15歳で初めてオジー・オズボーンのライブを観に来た少年がバーニーの演奏に強い感銘を受け、ギタリストとしてバンドを組むことを決心させたそうです。
それが後にオジー・オズボーンに加入することになるザック・ワイルド
だったという話は、かなりエモーショナルな事実なんじゃないかと。
OZZY OSBOURNE - with Bernie Tormé
(1982.4.9 Diary of a Madman Tour)
フルセット、かなり音の悪いオーディエンス録音ではありますが、現場の雰囲気はひしひしと伝わってきます。
コメント欄から曲順はこちら
改めて、この時のバーニーの演奏に
ザック・ワイルドが影響を受けていただなんて、
個人的にはかなりグッとくる話です😢。
この後オジー・オズボーンは、ナイトレンジャーのブラッド・ギルズを後任ライブ・ギタリストに招聘しツアーをこなしたあと、再度オーディションを実施。結果日系アメリカ人、ジェイク・E・リーを獲得する訳なんですが、
バーニー・トーメの後釜としてシャロン・オズボーンに後任ギタリストの指名を受けながら、結局呼ばれなかったのが、あのジョン・サイクスというのが泣けます。
(以前ブログでこの件詳細書いてます)
オジー・オズボーンに参加したとき、
再びリーダーバンドを結成していた訳ですが、そのバンドこそ、
バーニー・トーメ&
エレクトリック・ジプシーズ
BERNIE TORME & ELECTRIC GYPSIES
などなど。正にこれこそバーニーがやりたかった、
敬愛して止まないジミ・ヘンドリックスのトリオ・バンド
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
のオマージュに満ち溢れたバンド。
ギランを辞めたのも、名声よりやっぱり自分のバンドが欲しい、というバーニー自らの強い意思だったようです。
実は冒頭の曲「Star」の初出はこのシングルなんです。
それではオリジナルの曲を。
ボーカルはバーニー自身です。
BERNIE TORMÉ&ELECTRIC GYPSIES -
Star (PV) (1982)
正直こちらのバージョンもカッコいいですよね。
ちなみにドラムのフランク・ヌーンは、デフ・レパードのインディーズ時代、1978年11月に録音され1979年1月に発売されたファーストシングル、『 DEF LEPPARD E.P.』のレコーディング・メンバーだったりします。
⇧
裏面に
Frank Noon
- Courtesy of "The Next Band"
フランク・ヌーン
-"ザ・ネクスト・バンド"のご厚意により
と書かれているんで、当時のNWOBHMバンドであったザ・ネクスト・バンド
(マイナーバンドであるものの、後にアイアン・メイデンの元ギタリスト、デニス・ストラットンのNWOBHMバンドライオンハートやマイケル・シェンカーのバンドに在籍したベースのロッキー・ニュートンもメンバーだった)
からの"友情出演"だったようですね。
またも脱線しましたが、
やっぱり「Star」の1986年バージョンがなぜか好きなのは、やはり元NWOBHMバンドのガールに在籍し、
GIRL
現在L.A.ガンズのボーカルでもある
フィル(フィリップ)・ルイス
だからというのもあったりします。
昔からイケメンなのは間違いはないんですけど、
この人のボーカル、昔から決して上手くはないんです。
でもフィルが歌えばどんな曲もロックンロールになるという、他にいない稀有なボーカリストだと思ってまして。
天性のスター気質ですよね。
身を持ち崩さずに、L.A.ガンズのボーカルとして
今でも変わらずロックンロールを歌い続けている姿勢には脱帽です。
最近新譜もリリースしましたね。
さて、最初にご紹介した12インチマキシシングル
(so you wanna be a)STAR
の裏ジャケット
こちら
☟
の写真に関してですが、今回初めてきちんと調べてみました。
一人だけわからなかったのですが・・・
Brian Jones: 元ローリング・ストーンズの創始者で初代リーダー。思想・音楽性共に初期ローリング・ストーンズの支柱となっていたが、ドラッグ・アルコールに溺れバンドを脱退後、プールにて謎の死を遂げる。
W.C.Fields: 第二次大戦前のアメリカのショービジネスで活躍したコメディアン。一時代を築いたが、一生を通じ常に酷いアルコール依存症だった。
Marianne Faithfull: イギリス出身の歌手・女優。その美貌と歌声から60'sブリティッシュ・ポップ界のアイコンに。ストーンズのミック・ジャガーの元恋人でもあった。ドラッグ・アルコール・タバコ依存症となり声を潰し人気が低迷する。
Elizabeth Taylor: ハリウッドの伝説的大女優。生涯で8度の結婚をするなど華やかな私生活とは裏腹に、体重の増減を繰り返し、70回以上の入院、睡眠薬と鎮痛剤の常用による中毒症状、アルコール依存症など深刻な健康問題に生涯悩まされ続けた。
Shirley Temple / Zero Mostel: シャーリー・テンプルは1930年代に活躍したアメリカの伝説的天才子役。ゼロ・モステルは1930年代〜70年代に活躍したアメリカのコメディアン俳優。この写真は1960年代のレセプションに隣同士だった2人を捉えた割と有名なゴシップ写真だそう。ゼロ・モステルは1970年代に始めた急激な絶食ダイエットが元で亡くなった。
Elvis Presley: 言わずと知れたアメリカが誇る「キング・オブ・ロックンロール」。プレスリーは酒やタバコは一切やらず、違法薬物も摂取していなかったが、晩年ストレスによる過食が原因で体重が激増。処方された睡眠薬等の極端な誤使用が元で亡くなった。
Jimi Hendrix: アメリカロック史上最も偉大なカリスマギタリストの一人。1960年代〜70年代のイギリスのロック史にも多大な影響を与えた。そのフォロワーの一人がバーニー・トーメ。LSDやヘロイン等極度のドラッグ依存症だったといわれている。マフィアとの関わりもあったとも。死因は睡眠前に飲酒と睡眠薬を過剰摂取し、睡眠中嘔吐したことによる窒息死となっているが、真相は謎に包まれている。
どんなに幾多の人々が羨望の眼差しを向け、光り輝いて見える天空の星にも光が当たらぬ裏側があり、そして栄枯盛衰すらも。
⭐️
俺もこれまで色々な道を登り下りし、色々な光景を間近で見てきたが、
それでもお前はスターになりたいのかい?
スターになるには覚悟がいるぜ?
バーニー・トーメが最も尊敬するギタリストを写真の最後に持ってくるあたり、バーニーのそんな強いメッセージと覚悟が裏ジャケットから、そして改めて表ジャケットの言葉からもガツンと伝わってくるんですよね。
それでも"スターになりたいんだ!"
と。
今回NWOBHMというよりは、周辺のよもやま話になっちゃいました。
それでは!