(211)NWOBHMこの一曲(その6前編)〈アイアン・メイデンスピンオフ〉 | skyp2tの音楽が好き!

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80年〜00年代の邦楽・洋楽が大好き!
いいなと思ってる曲を勝手に紹介してま〜す


今回も

NWOBHM周辺


についてなんです



前回のブログ

 


ところで少し前に


アイアン・メイデンに関する

こんな記事がありました


🔸

ブルース・ディッキンソン


ニコ・マクブレインの後任

サイモン・ドーソン

との初リハーサルを回想


「まるでクライヴ・バー

バンドに戻ってきたようだ」


記事は
ボーカルの
ブルース・ディッキンソン

長年のライブ活動から
引退を表明した
ニコ・マクブレインに代わる
後任のツアー・ドラマー




サイモン・ドーソン
賛辞を送っている
そんな内容になっています


ブルース・ディッキンソン
サイモン
ドラム・プレイについて


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


「リハーサル中に目を閉じていたら

まるで
クライヴ・バー


バンドに戻ってきたような感じがした」



と語ってるんです

 



ブルース・ディッキンソン
クライヴ・バー

アイアン・メイデン
共に参加したアルバムは
実に

たった1枚



ボーカルの
ポール・ディアノ
脱退後

音域が広く高音が出せる
ブルース・ディッキンソン
サムソンから
獲得したことで

プログレ要素が異様に高まった
アイアン・メイデン
3枚目のアルバム



The Number of The Beast
(1982)



IRON MAIDEN - The Prisoner (1982)

クライヴ・バーが大フィーチャーのライブ・ビデオですが、とにかくスティーヴ・ハリスのベースが神がかり的!



今でもライブで
お馴染みの

The Prisoner
Run to The Hill

収録アルバムです

 



このアルバムの
クライヴ・バーのプレイは
本当に素晴らしい!

音が粒立って
オンタイムなのに
前のめりに聴こえる
このグルーヴを

サイモン・ドーソン
感じたとのことですが

ブリティッシュ・ライオン
2ndアルバム
The Burning』(2020)
を聴いた限り

やっぱり
非常にオーソドックス
かつ几帳面なドラミングをする人

というイメージしか
今は沸かないんですよね

なので今後
どんなケミストリーが
アイアン・メイデン
起こっていくのか

本当に興味深いです

 



さて

話は前回からの続き
なんですが


アイルランド🇮🇪
ダブリン出身のギタリスト
バーニー・トーメ




ギランに加入した
1979年に

ベーシスト
ジョン・マッコイ
レコーディングしたレア音源がこちら



McCOY - Hard Times (1979)

※ボーカルと共に唄い咽ぶ(うたいむせぶ)ブルーズギター🎸!、これぞバーニーの真骨頂!



レコーディング・メンバーは

g: Bernie Torme 

b: John McCoy 

dr: Barry Graham


ドラムは

後にサムソンの二代目

"覆面"ドラマー


サンダースティック




当時はバリー・グラハム

名乗っていたようです


SAMSON


※左端がブルース・ブルース(後のブルース・ディッキンソン)、右から2番目の覆面男がサンダースティック



実は

サンダースティック


さらに遡ること2年前

ほんの短い期間


インディーズデビュー前の

アイアン・メイデンにも

在籍していました


IRON MAIDEN 1977.11


※真ん中がスティーヴ・ハリス、右から2番目がサンダースティック



この当時は

バリー・パーキス(Barry Purkis)

と名乗っていました




ちなみに

サンダースティック

が在籍した


サムソンの初代ドラマーは

クライヴ・バー



          


サムソンの最初期

1978年リリースの2枚のシングルでは


クライヴ・バー

ドラムを叩いています






計らずしも


かつて

別々の時期に

サムソンに在籍していた


ブルース・ディッキンソン

クライヴ・バー

アイアン・メイデン

で出会い


作られた唯一のアルバムが


The Number of The Beast


という訳なんです


 



なんで


以前もブログに書いた

クライヴ・バーの話に

なっているの?


バーニー・トーメ

の話はどうなってるの?


という事なんですが



アイアン・メイデン脱退後

紆余曲折の後


プレイング・マンティス

メンバー達と

結成した

ストレイタス

1985年に解散した

クライヴ・バー


一方

1986年に

アルバム『Back to Babylon

を発売後


1987年に

ボーカルのフィル・ルイスが

脱退し

アメリカ🇺🇸のL.A.ガンズ

に加入すると


自身のバンドを

解散した

バーニー・トーメ



この2人



1988年に

同じバンドのメンバーになるんです



そのバンドこそ


トウィステッド・シスター



ボーカル


ディー・スナイダー率いる


デスペラード


DESPERADO (1988-90)




DESPERADO - Gone Bad


DESPERADO - Ride Thru The Storm

※ファンメイドのMVなんですが、デスペラードで唯一残されたリハーサル映像の一部が使われています。



ソングライティングは

全曲

ディー・スナイダー

バーニー・トーメの共作


当時

大手レコード会社と契約を結び


アルバムが出来るくらいの

楽曲のマテリアルも揃い


全ての曲が粒揃いで


グルーヴに満ち溢れた

傑作ブルーズ・ロック


となったにも関わらず


このメンバーで

楽曲をリリースすることは

なかったんです



その後

クライヴ・バー

バーニー・トーメ

バンドを脱退し


残された

ディー・スナイダー

ベースのマーク・ラッセル


アリス・クーパー・バンド

エイジアにも在籍した

テクニカルなギタリスト

アル・ピトレリ


ディーのソロユニットや

プログレハード

マジェランのドラマーだった

ジョー・フランコ

が加入し


バンド名をウィドウメーカー



と変え


1992年に

アルバム

Blood And Bullets



をリリースするんですが


12曲中7曲の

楽曲クレジットに


バーニー・トーメ

名前があるんです


 



なぜ

デスペラードでアルバムが

リリース出来なかったのか?



その疑問に

答える記事を見つけました



ここには

当時のメンバー


バーニー・トーメ

ベースのマーク・ラッセル


ロングインタビューが

掲載されています

(英語です)



グランジの影響によるもの

などでは全く無く


80年代後半に流行していた

ブルーズ回帰ブームに

レコーディングが長引き

乗れなかったこと


契約した

大手レコード会社が

ロックバンドを

推すノウハウが無く


追い討ちをかけるように

レコード会社で

唯一の理解者が

会社を去ったこと


シングルカット曲に

端を発する

ディー・スナイダー

レコード会社との確執


イギリス🇬🇧に

一時帰国した

バーニー・トーメ

肺に穴が開く

という大病による長期療養と


子供が誕生するという

家庭環境の変化により

バンド脱退を

余儀なくされたこと


契約が

レコード会社とバンドではなく


ディー・スナイダー

マネージャーのみの

契約だったこと等


幾つもの悪い要因が

バンドに重なった

結果だったようです


 


この記事には

バーニー・トーメから見た

クライヴ・バーについて

書かれていました



🔸



🔸




ベースのマーク・ラッセル

バーニー・トーメに対し

大きな恩があるとも話しています



🔸







🔸

 



デスペラードでレコーディングした

楽曲達は


後年

様々なアルバム・ジャケットの仕様で

リリースされることになります




そして現在では


サブスクからでも

容易に楽曲を

聴くことが可能になりました







長年の時を超え

やっと

音楽が解放された


そんなアルバムになっています


 



最後にデスペラード

この曲を


ブルーズ・ロックに


アイアン・メイデン

トーメスター』の

血が流れる楽曲


オジー・オズボーン

好きな人も

感じるものがあるはず


涙なしでは聴けない楽曲です


DESPERADO - See You At Sunrise



「夜明けにまた会おう」





それでは!