(30)JOHN SYKES / PLEASE DON'T LEAVE ME | skyp2tの音楽が好き!

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80年〜00年代の邦楽・洋楽が大好き!
いいなと思ってる曲を勝手に紹介してま〜す


今回はロックです。



1982年発売

JOHN SYKES ファースト・ソロシングル



PLEASE DON'T LEAVE ME

まずはフルバージョンで。



〈超訳〉


プリーズ・ドント・リーヴ・ミー


夏の間中 僕たちは夢中になってた

いつもふざけあっていたね

彼女は僕だけのものだったんだ 

どれだけ彼女を愛していたことか



でも今彼女は他の奴の所へ 僕のもとを去っていった

すごく落ち込んでる

彼女がいなくなってから、思い出しては彼女を失ったことに気づく



ダーリン お願いだからこんな風に僕を傷つけないでくれ

ダーリン 行かないでくれ

ダーリン お願いだからこんな風に僕を傷つけないでくれ

ダーリン 行かないで



今僕はめちゃくちゃさ 遊び呆けてる

でも全然楽しくないんだ

皆んながいう 時が変えてくれるさと

でも そうは思えない



夏の失われた恋人たち

君は違う道へと進み 君との思い出だけがよみがえってくる

あの特別だった日々 もう帰ってこないんだ



ダーリン お願いだからこんな風に僕を傷つけないでくれ

ダーリン 行かないでくれ

ダーリン お願いだからこんな風に僕を傷つけないでくれ

ダーリン 行かないで



JOHN SYKES guiter

PHIL LYNOTT vocal/bass

BRIAN DOWNEY drums

DARREN WHARTON keyboards



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イギリス/アイルランドの国民的バンドのシン・リジィホワイト・スネイクといったビッグ・バンドに在籍していた

ジョン・サイクス



そのジョン・サイクスソロワークの永遠に輝く名曲



PLEASE DON'T LEAVE ME

(プリーズ・ドント・リーヴ・ミー)




ご存知の人はいわずもがな。

この人がジョン・サイクスです。


JOHN SYKES



いつみても、なかなかのイケメンです。



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さて、

ジョン・サイクスってどんな人かといいますと、

一言でいえば



ギター・ヒーロー


です。



ジョン・サイクスは元々イギリス🇬🇧イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿のレディング出身。



レディング



14歳までレディングに住んだ後、親がスペインにディスコを2軒買ったことで、両親・叔父さんと一緒にスペインの🇪🇸イビサ島に移住。



赤い矢印がイビサ島。スペインと北アフリカの間に浮かぶ小さな島。





イビサ島、完全にリゾート地ですね。



叔父さんがイビサのディスコでギターを弾いたのがカッコよくてギターを始めたサイクス少年。



テレビを見てもスペイン語は全然分からないし、

小さな島でやる事がなんにも無かったサイクス少年は、

1日に7〜8時間暇さえあればギター🎸を弾いて日々過ごしていたらしい。



16、17歳頃初めて彼女も出来たサイクス

「彼女が僕の最初で最後の女性なんだ」と一途だったけど、2〜3年後にイギリスに戻ったら疎遠になってしまったらしい。



その後彼女が何回が出来たようで。

とある彼女とは一緒に暮らしてた時期があって、

建築関係の仕事をちゃんとやりながら、ギターの練習も欠かさずしてたそう。



その彼女からある日「もうギターはやめて!」

と言われたサイクス

ギターをその日からあっさり止めてしまったらしい。




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ギターを止めてから一年半後のとある日、

その彼女とテレビ📺を観ていたとき流れてきたのが

コロシアムII




そのコロシアムIIに当時在籍していたギタリスト、

ゲイリー・ムーアに衝撃を受けてしまったサイクス



COLOSSEUM II(1975年-1978年)


左がゲイリー・ムーア(長髪)



コロシアムIIは、ブリティッシュ・ロックサイドの強者共で結成した

ジャズ・ロック/フュージョンバンド



これは1978年のテレビプログラム

INQUISITION



この曲、ジャズサイドのギタリスト、アル・ディ・メオラ



AL DI MEOLA

1977年発売 2ndソロアルバム

ELEGANT GYPSY(エレガント・ジプシー)




へのロックサイドからの回答とも言えるゲイリースパニッシュ・ギターが唸る曲。



テレビの演奏を見た翌日、早速ギター🎸を買ってきてしまったサイクス

お陰で彼女とも破局ハートブレイクに。



でもそんなのお構いなく、サイクスはギターに没頭していったんだそう。





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ところで、

アル・ディ・メオラはアメリカ🇺🇸のジャズ・ギタリスト。

ゲイリー・ムーアはイギリス🇬🇧の北アイルランドのロック・ギタリスト。



なのに二人は共にスパニッシュ・ギターに魅了され、

ジョン・サイクスはスペインで過ごし、ゲイリー・ムーアに魅了されていったわけで。



三人に共通する演奏スタイルは速弾き泣きのギター。そしてスペイン🇪🇸。




つまり速弾き泣きのフレーズ=イコール情熱❤️‍🔥(パッション)に通じるということなのかも、と思ったり。



ちなみにゲイリーアル・ディ・メオラもギターはギブソンレスポールモデル


もちろんジョン・サイクスのギターもレスポール





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時は移り、1980年。


イギリス🇬🇧で勃発したヘヴィ・メタル・ムーブメント、NWOBHMニュー・ウェーヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル 1979年頃〜1982年頃)真っ只中。


お気に入りのバンドのパッチを縫いつけたデニム&レザーのジャケット




を着て、狭いライブハウスで夜な夜な曲に合わせヘッドバンギングする。



NWOBHMブーム当時のライブハウスとキッズの雰囲気がわかるアイアンメイデンのライブ動画。



パンクを通過したハード・ロックヘヴィ・メタルというジャンルへと転化する瞬間を目撃できたのが

NWOBHMだったはず。



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スペイン🇪🇸のイビサ島からイギリス🇬🇧に戻ったサイクスは、18歳くらいでイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿北西部のブラックプールで当時トリオ編成のバンド、STREET FIGHTERを結成

1980年当時は21歳。



ブラックプールはアイリッシュ海に面する地域。




イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿はサイクスの生まれ故郷。

海を挟んだ向こう岸はゲイリー・ムーアの故郷、アイルランド島


ブラックプールは、イギリス最大の保養地だそう。

まるで少年期を過ごしたイビサ島のような。



ブラックプール



そんな場所でバンドを組んでいたサイクス



STREET FIGHTER

(1977年-1980年8月頃サイクス脱退)



この土地でもバンドをやりながら、建築現場でレンガ🧱職人をしていたそう。


ちなみにベーシストは後にSAMSONに在籍の後、1984年にFMを結成したマーヴ・ゴールズワージーだったらしい。



サイクス在籍時のSTREET FIGHTER唯一の音源。

NWOBHMの歴史的コンピレーション・アルバムの一つ、

NEW ELECTRIC WARRIORS(1980年)

収録曲

SHE'S NO ANGEL

今のヘヴィ・メタルからするとB級かも。

でもNWOBHMマニアからすると、このパタパタしたドラムのリズムとギターソロでご飯三杯はいける最高レベルの音源。




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バンドを率いていたサイクスは、当時NWOBHMの看板であったイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿のバンド、SAXSON(サクソン)


SAXON



のサポート・アクトとしてツアー中、

同じく当時NWOBHMブームの牽引役であった同じくイングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿のバンド、TYGERS OF PAN TANG(タイガース・オブ・パン・タン)のメンバーに引き抜かれ、1980年に加入。



初代ボーカルジェス・コックス(〜1980年暮れまで)在籍時の貴重なメンバーショット。


ジェス・コックスサイクス在籍時の映像




二代目ボーカル、ジョナサン・デヴァリル加入後のメンバーショット。


ジョナサン・デヴァリルサイクス在籍時の映像。





1981年発売の2ndアルバム「SPELLBOUND」から3枚のアルバムに参加。



サイクスが参加したオリジナル・シングルとアルバム

はこちら。




次第にサイクスジョン・デヴァリルのソングライティング組の曲がメインとなり、危機感を感じたオリジナルメンバー三人との確執が徐々に増えたこと。


そして60年代のバンド、サーチャーズのオールドヒットソングのリメイクをむりやり指示したレコード会社に不信感を持ち始めたサイクス



その曲が「LOVE POTION NO.9


サーチャーズ版(1964年発売)


タイガース・オブ・パン・タン

これはこれで好きだけど。POPでいいけどね。



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ここで絡んでくるのがあの男、



オジー・オズボーン







違った、こっち。



ライブ・アルバム

悪魔の囁き SPEAK OF THE DEVIL

(1982年11月27日発売)

あわよくば、このライブアルバムでギターを弾いているのがサイクスだったかも知れないという。




1982年3月19日、飛行機事故でオジー・オズボーンバンドの若き才能ある伝説のギタリスト、ランディ・ローズを失って、失意のどん底にあったオジー



敏腕マネージャーのシャロン・アーデン

(後にオジーの奥さんに。JETレコードの悪しき社長、ドン・アーデンの娘)がなんとかオジーにライブ・ツアーをさせようと、新たな若き才能あるギタリストの発掘に乗り出した。



そこでシャロンが声をかけたのが、サイクス



ビッグネームからの誘いに、もうそのつもりでタイガース・オブ・パン・タンを脱退するも、待てども待てどもその後の連絡はなし。



とんだ肩透かしとなったサイクスは後に、



Ozzy Osbourne, to me, was sxxt!



と言い放ったそうな。




結局ナイト・レンジャーのギタリスト、ブラッド・ギルズが採用され、ライブ・メンバーとなったけど、

オリジナルアルバム作成前に脱退。


日系アメリカ人のジェイク・E・リーが後任ギタリストに決まり、あの名盤「月に吠える BARK AT THE MOON」(1983年12月10日発売)が生まれたという。



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ハシゴを外され、迷うサイクスに声をかけたのが、

アイルランド🇮🇪の国民的バンド、

THIN LIZZYのボーカル兼ベーシストのフィル・ライノット



PHIL LYNOTT


まずは、THIN LIZZYメンバーとソロデビュー・シングルを、と作られたのが冒頭の名曲



PLEASE DON'T LEAVE ME



だったという訳。



このシングルはTHIN LIZZYのメンバー達と合うかどうかの、オーデション的意味あいもあったんじゃないかと思ってみたり。



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実は、1977年に怪我をした当時のギタリストの代わりにライノットからTHIN LIZZY加入を打診されたのが、

当時COLOSSEUM IIに在籍中だったサイクスのギターヒーロー、ゲイリー・ムーアその人だったという。




COLOSSEUM IIとのバンド兼任でOKしたゲイリーはその後1979年まで在籍することに。



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1982年当時、結成13年目のTHIN LIZZYライノットダウニーともにドラッグ、アルコールなどの深刻な問題を抱えてる上、出したアルバム・シングルのセールスも伸び悩み、解散を決意せざるを得ない状況に追い込まれていた。



一花咲かせるためゲイリーの面影がある粋の良い若きギター・ヒーローを、

ライノットが指名したのがサイクス


サイクスは自分のギターヒーロー・ゲイリーがいたバンドの後任。



双方の条件がピタリと一致しサイクスTHIN LIZZYに加入。



傑作アルバム1枚(「THUNDER AND LIGHTNING」)と日本公演を含むフェアウェル・ツアーに参加し、マシンガン・ピッキングと泣きのギターをここぞとばかりに披露したサイクスは一躍時の人に。



サイクスライノットの共作

COLD SWEAT



こちらは

1983年、ライノットの故郷、アイルランド🇮🇪の首都ダブリンで行われたTHIN LIZZYのフェアウェル・ライブ。

サイクスの演奏を堪能するならこれでしょう。



フェアウェル・コンサート後、当初の予定通りTHIN LIZZYは解散。



またもサイクスは、バンドを失うことに。



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一方、ディープ・パープルのボーカルだったデヴィッド・カヴァーデール(イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿出身)





率いるイギリス🇬🇧のバンド、WHITESNAKEホワイトスネイク)は、1982年に5thアルバム「SAINT AND SINNERS」発売後、リセットを図るべくメンバーを全員解雇。



新メンバーとして

ミッキー・ムーディー ギター

メル・ギャレイ ギター

ジョン・ロード キーボード

コリン・ホジッキンソン ベース

そして

流浪の渡り鳥(俺の背中について来い!)こと

コージー・パウエル ドラム


を招集。


1983年に待望のアメリカのゲフィン・レコード


(最近「うっせぇわ」のadoとレコード・ディールを結んだのがこのゲフィン・レコード


と契約を結びアメリカでのディテールを獲得。

翌1984年1月に6thアルバム「SLIDE IT IN




を発売するも、アメリカ盤のギターをミッキー・ムーディーからサイクスに変えてリミックス・バージョンとして発売。






つまり、THIN LIZZY解散後、サイクスがすぐ

WHITESNAKEに合流したと考えれば、なるほどなという感じ。




1984年のWHITESNAKE

左から

ニール・マーレーサイクスコージーカヴァーデールジョン・ロードメル・ギャレイ

ニール・マーレーは以前紹介したジャズ・ロックバンドBRUFORDCOLOSSEUM IIにも参加、カンタベリー系プログレッシブ・バンドにも絡んでくるボーダーレスな男。



その後、サイクスとカヴァーデールは共作を続け、



ジョン・サイクス ギター

ニール・マーレー ベース

エインズレイ・ダンバー ドラム

コージー・パウエル

ドン・エイリー キーボード





のメンバーで制作を行った歴史的モンスターアルバム



「WHITESNAKE」

(俗称「1987」「サーペンス・アルバス」)

が1987年4月に発売された。





このアルバムは全米ビルボードチャートで、マイケル・ジャクソンの「BAD」に次ぐ最高2位を獲得し、800万枚以上を売り上げる爆発的💣💥ヒットとなった。



サイクスの才能と魅力が詰まったアルバム。






しかし、アルバムのツアーが始まる時には、

すでにサイクスの姿はなかったんです。




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アルバムの全米大ヒットで気を良くしたカヴァーデールがまたもやメンバー全員を解雇



全米アリーナツアーでビジュアルが映える派手なメンバーに入れ替えた、という訳。




見た目もこんな感じに。



アルバムが発売された時にはもう演奏しているメンバーがいなかったなんて・・・

悲しい話です😭




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最後に

PLEASE DON'T LEAVE ME

のインスト・バージョンをどうぞ。