1992年1月29日発売 TODT-2760
SHOW-YA 「天使の炎ーFlame of the Angel」
カップリング曲
DON'T SAY GOOD BYE
作詞 STEFFANIE BORGES
作曲 仙波さとみ・角田美喜 編曲 SHOW-YA
ボーカルのステファニー・ボージァス(以下ステファニー)は、寺田恵子に代わり1991年にSHOW-YAに加入。
その後1996年にSHOW-YAを辞めるまでの6年間に世に出たCDは、アルバム1枚とそしてこのCDシングルのみという。
時にSHOW-YAの海外進出の野望を助け、時にソロになった寺田恵子の後任としてSHOW-YAにとっては不遇の時代をメンバーと共に乗り切ったステファニーは、
サンフランシスコ出身の日系アメリカ人。
Reikoというセカンドネームがあるらしい。
ステファニーもまた紆余曲折の人生。
日本での活動は、音楽からではなくカネボウの水着イメージモデルからスタート。
その後日本のソングライティング陣と日本語の歌詞でアイドルポップアルバムを1枚発売。
1978年4月発売(?)
ステファニー アルバム「ページ・ワン」※未CD化
サンフランシスコ出身なのになぜかハワイ路線。
その後80年代に入り、ハードロック、ヘヴィ・メタルの世界的ムーブメントに反応し、路線を大きく変更、ソロ・シンガーに。
結果こんな感じになりました。
1985年・1986年と2年続けて日本で2枚のハードロックアルバムを発売。
この時期よく知られている活動は、
アニメ『うる星⭐️やつら』の主題歌を歌っていたこと。
その曲が
「ロック・ザ・プラネット」
当時のうる星やつらオープニングが👉
高橋留美子先生米ハーベイ賞受賞🏅
アニメ化40周年おめでとうございます🎊この時期のTV映像があるけど、
英語バージョンかつゴリゴリのLAメタル感で、会場の
子供達をひたすら置いてきぼり、口ポカーンが面白い。
(高音のノイズが出てるので音量絞って視聴注意)
こちらは日本語バージョン。
その後、1991年SHOW-YAに加入。
1994年に発売したステファニー在籍時唯一のアルバム
全編ステファニーが英語で作詞
『Touch The Sun』
1996年にSHOW-YAを抜けた後、翌年にロサンゼルスに移住し、日本での活動を終了。
と忙しい日本生活だったけど、やりたいことをどんどんやって、すごく歌が上手くなり、カッコよくなっていく姿は好感が持てるなあと。
「DON'T SAY GOOD BYE」は、SHOW-YAの最後に書かれた曲じゃないけど、ステファニーがサヨナラを予見したかのような歌詞がなんとも心に響く曲です。
最後にアルバムのラストを飾る表題曲を。
ただただカッコいいっすね。
TOUCH THE SUN