立て続けに天満宮の内容になります。
これまでの、話はこちら。
御祭神として藤原道真公をお祀りする神社というのは、もう言わずもがな。
これまで、水鏡天満宮、鏡天満宮と続けてきました。
今回は、もう一社目の天満宮。
「綱敷天満宮」
鎮座しているのは、こちら。
福岡県福岡市博多区綱場町5−7
こちらは、道真公が太宰府へ赴任するために袖湊(そでのみなと)に上陸したときに、住民たちが船の綱を輪にして敷物をつくり出迎えたそうなのです。
袖湊は那珂川の下流域の入海にあった港らしい。
その場所に社殿が建立され綱輪天神と呼ばれていたそうですが、次第に訛っていき綱場と呼ばれるようになったとか。
その綱場はこの辺りの町名にもなっています。
水鏡天満宮と鏡天満宮も博多へ上陸された時のエピソードが由緒に書かれていますが、こちらも上陸の時のエピソードが社伝として伝えられているみたいです。
三社とも道真公が上陸したというエピソードで、繋がりがあるということですね。
また、三社の位置関係も面白い。
那珂川を中心にほぼ等間隔で鎮座しています。
面白いですよね。
厳密に確認したわけではないので、これは憶測ですが、創建時期も似てるのではないでしょうか。
天満宮という繋がりと、道真公が博多へ上陸したエピソードという繋がりはありますが、それぞれは別の神社で関係はないのかなと思います。
ただ、この場所に道真公が上陸されたのは、三社の位置関係から確かなのかなぁ〜と勝手に思っています(笑)
水鏡天満宮は、元々は別の場所ですが、薬院新川という那珂川水系沿いだったのは確かです。
といういうことで、綱敷天満宮になります。
拝殿
拝殿越しの本殿
鳥居をくぐって右手に手水舎
蛇口式です。
ちなみに、同じ名前の天満宮が福岡県築上郡築上町に鎮座しています。
こちらは、道真公の船が難破し漂着した地で船の綱を円座に敷いて迎えたというエピソードです。
神社の敷地は広く、社殿も大きなものが建立されており、境内には1000本にも及ぶ梅があるそうです。
そして、兵庫県神戸市にも同じ名前の天満宮が存在します。
こちらも、エピソードは似ており、太宰府に向かう途中で波が高くなり須磨の浦で休まれた際に船の綱を円座に敷いてというものです。
これまた社殿も立派なものが建立されており、須磨の天神さまとして崇敬を集めているみたい。
さらにさらに、綱敷天満宮ではなく綱敷天満神社という名前で京都府京都市伏見区、愛媛県今治市、兵庫県神戸市東灘区、香川県高松市、愛媛県西条市に鎮座されております。
いずれも、御由緒を確認した訳ではありませんが、おそらく同じようなエピソードを持っているものと思われます。
京都市伏見区のものを除いて、関連するのは瀬戸内に面した場所なので、流謫のルートは瀬戸内だったのかな。
点在する神社をつなげると面白い繋がりを見つけることができますね。
・・・こうなると、やっぱりあの場所に行ってみないといけないような気がしています。
ではまた〜
お賽銭について書いてみました。
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