迷わずに1本の放射路に足が向いた。

てくてく… てくてく…

程なくその「目的地」にたどり着いた。

壁に残る「楽宮大旅社」の跡。ジュライと
同じく魔都に魂を吸い取られた多くの沈没者が
その羽を休めた巣窟。『バンコク楽宮ホテル』
などの小説の舞台にもなった場所だ。

楽宮の出入り口から2軒目(シャッターの
しまった間口の右側)… そこがかつて北京
飯店だった場所。
今は自動車のパーツ屋になっていた。
2階の壁にあった「北京飯店 スワニー」の
看板も取り外され、金属の台座だけが
かつての面影を物語っていた。
私のような老いぼれが何人も訪れるのかも
しれない。店の親父が私に向かって
「スワニー?」と声をかけてきた。力なく
苦笑いで返す私。向こうも幾度となくそんな
やり取りを交わしていたのだろう。カメラを
構える私に笑顔でうなずくと「ここがそうだよ」と
言わんばかりに店の天井を指差した。
ジュライ… 楽宮… 北京飯店…
私は全てが終わったことを悟った。
陽炎の晴れたヤワラー。兵達の夢の跡…
いや、決して夢ではない。あの頃、饐えた
臭いの中で生きた男達の生命の証が
刻まれた街…
木扉の打ちつけられた2階と3階の
部屋は、ところどころ窓が開いていた。
あの頃を知らない誰かが、南京虫に
食われながら「そこ」で新しい歴史を
紡いでいるのか…
正直、来なければよかった。魔都の
幻影は、幻影のままでこそ楽しかった
ことを思い知らされた。インターネットも、
BTSも、MRTもなかった。不便だったけど、
今にして思えばそれでも楽しかった。
川沿いの道に出て灼熱の太陽に
再び出会う。振り返ったそこに、一瞬、
陽炎が見えた気がした。楽宮の階段を
気だるそうに降り、北京飯店のテーブルに
座る怪人たち。汗とクスリとナンプラーと
ドブと排気ガスの混じった臭いが立ち
込めた路地… 在りし日の残照…