君よ!25年前の歓声を覚えているか? | PTD ~ Pilot To Dispatch ~

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ヒコーキオヤジのひとりごと
 空の話、ときどきタイのネタ…

ジョン・F・ケネディが「Ich bin ein Berliner!
(私はベルリン市民である!)」と叫んだのが
1963年6月26日、その26年後、1989年11月9日、
そう、今から25年前の今日、ベルリンの壁の
崩壊が始まった。
 
 物理的な破壊が始まったのは10日だが、
9日に東ドイツ政府は自国民の出国に関する
規制を撤廃する政令を出しており、人民の
流出という意味では今日を崩壊開始の日と
見ても構わないと私は考えている。
 
 25年前、私はある会社でサラリーマンを
しながらこのニュースを見た。世界中の
感性が、エネルギーが、そこに集まっていた。
テレビから流れる映像からでも全身が
震えるような感動を覚えたことを今でも
覚えている。歴史が変わる瞬間をこの目で
見た。あるいは自らその地に立ち、歴史の
ページがめくられる現場に立ち会った者もいた。
 
 あれから25年、ヨルダン川西岸に築かれた
壁に続いてウクライナにも壁が築かれようと
している。物理的に地を隔てることが出来ても、
人々の心まで隔てることは出来ない。ベルリン
から何も学んでいない者たちもまだまだ多い。

 ただ、その逆もまた真実。物理的な壁が
なくても、民族の心の壁が厚く立ちはだかる
地域も数多い。全ての壁を取り除くことは
長い時間がかかるだろう。しかし、その日を
夢見て、心の「ベルリン市民」たちはこれからも
長い戦いを続けていかなければならない。
 
 余談になるが、このベルリン封鎖で孤立した
西ベルリンに対して、自由主義陣営はわずかに
残された3本の、幅わずか8kmしかない航空路を
使って輸送作戦を繰り広げた。航空路を外れると
東側の戦闘機に撃墜されかねないので、悪天でも
正確に往来できるように、この時期にエンルート
レーダー管制と精測レーダー進入管制が急激な
発展を遂げ、後の航空安全にこの上なく寄与する
ことになったことは、あまり知られていない陰の
副産物でもある。