ネガの保存状態が悪かったので見苦しい画に
なってしまっているが、教官になりたての頃、
長距離航法訓練でテネシーの飛行学校から
長躯ニューヨークまで飛んだ時のもの。
なつかしいWTCのツインタワー…
バブル全盛期にサラリーマン時代を過ごしていた
私は、当時妹がニューヨークに住んでいたことも
あって、出張とプライベートで年に2回はこの街を
訪れていた。このタワーの屋上に出たこともあった。
最上階の中華料理屋で仕事相手と夕食を共に
したこともあった。思い出が詰まったビル。

2001年9月11日… 私は当直管理官として
たった一人で勤務していてこの事件に出くわした。
最初の映像は既に1本目のビルが煙を噴いていた
ところだった。私はラガーディア空港に降りる
ビジネスジェットかなんかがトラブルか高度処理を
誤ってぶつかったのかと思った。
そんな思いで画面を見つめていたらそこへ
2機目が飛び込んできた。生中継でその瞬間を
見てしまった。アナウンサーの絶句、続いての悲鳴…
それからの太平洋と北米の空は数日間凍りついた。
時は流れ、世界は変わった。しかし、大切な人を
そこで失ってしまった人たちの時計は12年前の午前
8時半で止まってしまったままだ。
その後の「誰のための自由なのか?」主語の
わからない戦いで、祖国を離れて散った20前後の
若者もまた悲劇の犠牲者ではないのだろうか?
「Freedon is not Free (自由はタダではない)」
偉い人たちは言う。
…しかし、その「自由」は誰のものなのだ?
今日で東北の震災から2年半、9・11で「不朽の
自由作戦」を繰り広げたアメリカ軍と、3・11で
「友達作戦」を司ったアメリカ軍が、同じ人々だと
いうのもまた複雑な思いだ。
今夜は祈ろう。世界の人々のために。