(長くなるけどごめんね)
真冬に逆戻りしたような冷たい雨の今日、
我が社では2年に1度の航空安全会議が
開催され、本来ならば40機近い航空機が
フライインしてくれるはずだった。
もちろんそれで晴れて欲しかったのもあるが、
今日は私が大好きだった方が天に昇られて
しまった日でもあるというのが実は本音。
あれから8年も経ったか…
その人の名は岩崎貴弘… ロック岩崎と
書いたほうが記憶に残っていらっしゃる方も
多いだろうか? 航空自衛隊屈指のイーグル
ライダー(F-15乗り)で、生涯空を飛び続けたいと
思って自衛隊を退官、「Air Rock」アクロバット
チームを立ち上げて日本初のプロのエアショー
パイロットとなった方だった。
日本最強の飛行機乗り、航空自衛隊のF-15
パイロットという「過去の栄光」に拘らず、自ら
我々小型機の世界に降りてきてくださった方だった。
初めてお目にかかったのはオペレーションの
カウンター。私がシフトに入っている時に偶然
施設見学に訪れたのがことの始まり。驕ることの
ない気さくさと、迸る情熱に、一気に引き込まれた。
それからは何回かエアショーや講演会などで、
その都度ご挨拶に伺うと、いつでも「おお!
○○さん!」と立ち上がって両手で握手してくださり、
時にはブースに引き摺り込んでまでご自分の
スタッフの方々を紹介してくださった。たかが
小型機の教官の私の話でも、目を輝かせながら
聞いてくださる… そんな方だった。
そうして何回もお目にかかるうちに、いつしか2人の
間に共通の「夢」が生まれていた。
ウチの飛行場でショーをやりたい…
資料をいただいたり、上層部に企画書を出したり…
奮闘の日々が続いたが、何度もお互いに「いつかは!」を
合言葉のようにして頑張ってきた。
そんな岩崎さんが突然、風になってしまった。
余りに突然な知らせに、そして夢の途中だった別れに
私は何が起こっているのかを受けいれることを拒み、
大変非礼なこととは充分承知しながらも、葬儀には
参列しなかったし、弔電も打たなかった。それをしたら
死を受け入れることになってしまうと思っていたから。
奇しくも "レッド・バロン" リヒトホーフェンと同じ日に
天に昇ってしまった岩崎さん…
晴れた日の滑走路に立つと、どこからともなく愛機
ピッツのエンジン音とともに空から舞い降りて来て
くれるような気が、今でもしている。
約束通りショーをやりに来ましたよ… と
だから、今日だけは青空が見たかった。
岩崎さん、今頃どこを飛んでいらっしゃるのですか?