エピソード19「失恋がボクを画家にしたー5(番外編)」
エピソード19「失恋がボクを画家にしたー5(番外編)」
初めてパリ国際空港に着いた時、午後9時到着の予定が夜中の12時近く遅延したため、ボクはミラノ行きの夜行列車に乗り遅れてしまった。当時、西も東もわからないパリで、ホテルの取り方もしらず、途方にくれたボクは、タクシーの運転手に用意していった、ユースホステルのカードを見せて何ヵ所か連れて行ってもらった。ところが、時刻が遅すぎて、どのホテルもみんな閉まっていた。
困ったなぁ、どうしようと、車を降りてウロウロしていると、一人の外国人の若者が自転車でやってきて、そのユースホステルのドアをガンガンたたいて「あれ、閉まってる。」なんていっている。英語なのでボクも分かったから、話しかけると、彼は「もうどこもダメだから、僕の寝袋で寝よう。でもこの町中では、テントを張れないからブローニュの森へ行こう」と誘った。他にどうしようもなかったボクがうなずくと、アメリカ人でクリスと名乗った彼はタクシーを呼びとめ自転車も、ボクの荷物も全部積み込んで、ダーッとブローニュの森に走った。
日本の公園と違ってうっそうとした、木立の陰に、なんとかテントを張ったまではよかったが、一人用のテントに、いざ二人で並んで寝るとなると、急に心配になってきた。なにしろ、相手はいくら人の良さそうなやつでも、つい30分ばかり前に初めて口を聞いたばかりの赤の他人で、しかも外国人。夜中にスーッと寝首をかかれたら、一巻の終わり。そこまで行かなくても、身包みをはがされたら、一大事。ボクは明日の夜行列車でミラノの彼女を連れに行くための一張羅などが入った、スーツケースを地面に置き、それを必死に抱え込むようにして眠ったのだった。トラの子の8万円とユーレル・パスは腹巻の奥深くにしまいこみ、時々手で無事を確かめたのはもちろんである。
夜中にふと目が覚めると、なんと雨だった。クリスも「オー、レイン」なんていいながら、アクビをしている。寝袋ひとつの自転車旅行の彼は、そんな状況にも場慣れしたものだが、スーツケースに抱きついて、うつ伏せになって寝ていたボクは、地面についていた膝から下は泥まみれ、トランクもドロドロになってしまった。
でも、若さというものは素晴らしいものだ。ブローニュの森の小鳥の声で目が覚めるなんて最高の贅沢さ、なんて二人でへらず口をたたきながら、翌朝元気に起き出し、公園の水のみ場で泥だらけの手やトランクを洗った。ボクの田舎じみた取り越し苦労とは反対に、クリスはとてもいいやつだった。ジェントルマンで、ブローニュの森からシャンゼリゼまでの長い道のりを、ボクのスーツケースを自転車に乗せ、自分はテクテク歩きながら運んでくれた。ボルトマイヨーのあたりで、二人で朝食を取り、ミラノ行きの列車の出る、リヨン駅方面に行くボクは、そこで彼と別れた。たった一夜の友人だったけど、とても名残り惜しかった。ボクは彼のおかげで何とか無事に野宿できたのだし、気分のいいやつだったので、せめてものお礼心に、腹巻から50フラン取り出して彼にプレゼントした。どうしても受け取らない彼に無理やり押し付けてサヨナラを言った。彼が運転手にリヨンまでとフランス語で説明してくれたタクシーに乗って、後ろを振り返ると、自転車に乗ったクリスがいつまでも手を振っていた。
「パリに住んで6年目。ロスの画廊から誘いがあり、アメリカ在住の話が出た時、ボクがすぐその気になった理由のひとつに、もしかしたら、あのクリスという、とてもいいやつだったパリのアメリカ青年とのさわやかな出会いの印象があったのかもしれない」

