目次
====
1. 音楽は政治的に中立ではない
2. 排外主義という差別
2.1 悪人討伐を行う宗教政治団体
2.2 外国人を排斥する政党
3. 差別主義は対立をあおる
4. 政治はロックではない
5. 差別主義を超越するために
1. 音楽は政治的に中立ではない
かつて、音楽が政治的に中立なままでいられると思えた時期もありましたが、それはこれまで日本社会が不安定な状況になかった、平和な時代であったためです。
2025年7月20日の参議院選挙の結果、日本の政界にも極右政党が台頭してきて、急速に社会の不安が高まっています。
そうした社会状況の流れを受けて、表現者が政治的中立を保つのは、かつてなく難しくなってきました。
想定される最悪のシナリオとは、保守良識派が後退し、保守極右連立政権の誕生を招いて、憲法改正、治安維持法(スパイ防止法)制定などを経て、国民の主権が制限される社会状況になることです。
そうなれば手遅れで、もはや自由に発言することが難しい社会になると予測されるので、民主主義を守るため、いまのうちに踏みとどまる必要があります。
2. 排外主義という差別
国籍という線引きで「分かりやすい差別」を掲げる政治勢力が台頭してきました。
2.1 悪人討伐を行う宗教政治団体
「攻める防犯」システムにより、身近な隣人である特定の個人を悪人に仕立てて「集団ストーカー」で攻撃することを、闇組織的に推進している宗教政治団体が存在しています。
全国的に「集団ストーカー」「テクノロジー犯罪」の被害者が多数存在します。
基本的人権を無視した攻撃によって、身近な人間関係の対立が増大し、個人の孤立を招いています。
2.2 外国人を排斥する政党
「日本人ファースト」を掲げる政党は「外国人 対 日本人」という、誰にでも分かる国籍の違いで、身近な人々を分断して対立をあおっています。
さらに次の段階では、「外国勢力を利する非国民」を捜して、排除するようになるでしょう。
3. 差別主義は対立をあおる
差別主義者とは「悪人/常人」「外国人/日本人」のように、自己中心的な二項対立を設定して、自分は安全な後者の側に身を置きつつ、周縁側の標的を排除しようとするのが共通する性質です。
これが主要な思考パターンである人にとって、その対立が深いほど、排斥行為が強いほど、正常である自分を再確認できる仕組みになっています。
4. 政治はロックではない
「政治はロックだ」という言説の背景には、単純な正義感を振りかざし力の行使が期待できる政治を望む、という感情が存在しています。その意味においては、ロック音楽は聴衆を扇動しており、政治的に中立とは言えません。
そのような力が行使される場においては、あたかもライブパフォーマンスのように、聴衆を熱狂にいざなうようなコミュニケーションにたけた人物が、能力を発揮します。
しかし歴史から学べることによれば、次世代の政治には一時の熱狂ではなく、冷静に考えて論理的に危険を取り除いていくというような、慎重さが求められています。
5. 差別主義を超越するために
すでに述べたように、差別主義者は自己確認のために、単純な二項対立を、周囲の社会に設定しようとします。
まずは差別主義者が仕掛けてくる、そうした対立をあおる構造そのものを解体しなければなりません。それなしに単純な反撃を行っても、相手が設定した土俵上で、際限のない戦いに巻き込まれるだけです。
これは難しいことなのですが、「被害者/加害者」という単純な二項対立を超越して、双方の立場が社会的に包摂されるような、第3の選択肢というものを考える必要があるでしょう。
たとえば日常にできることとして、目前の人には思いやりをもって接する、というような態度を実践するとか、それだけで何かが変わるかもしれません。
他者の人権を尊重することは、民主主義の根幹となっています。
しかしながら、いま集団ストーカーの被害に遭っている人にとっては、防御するだけで大変という状況だと思うので、まずは足元の安全を確保して冷静に日常が送れるようになってから、それらの社会問題に取り組んでほしいと思います。
目前の危機を回避するためのヒントを、いくつか公開していますので、それぞれがおかれた状況に反映させてください。
就寝中など使用しない時間帯は「wi-fiルーターをOFF」にしてください。環境保護にも貢献できます。
集団ストーカーに悩んでいる人には「スマートフォンの位置情報をOFFにする」ことをお勧めします。あるいは、インストールしているアプリに許可している権限を必要最小限にしてください。
これで被害の軽減が期待できます。
あとは、冷静に日常生活が送れますように。そのように願っています。
