”陰の人”への配慮は、指導者の義務といえるからだ | くにまさのブログ

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    (『新・人間革命』第8巻より編集)

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          〈布陣〉 11

 

 事実、伸一は、陰で広宣流布を支える人びとを、草の根を分けるように探し出し、励ましのためのさまざまな手を打っていった

 

 その一つが、「おとしよりの集い」であった。

 

 これは、本部総会の前に伸一が提案したもので、各方面ごとに、五月十二日と十四日の両日に分かれて開催され、音楽や演奏や合唱、舞踊、演劇などを鑑賞することになっていた。

 

 恩師の七回忌への新しい出発にあたり、高齢者の同志を慰労したいとの思いから生まれた企画であった

 

 伸一は、組織のリーダーとして、縦横無尽に活動の指揮をとっている人を見ると、その人を陰で支えているのは誰かを、常に考えてきた

 

 海面に現れた氷山は、ほんの一角であるように、表面に出て活躍する人の陰には、その人を支える多くの人間がいるものだ。

 

 そうした目で、リーダーを陰で支えている人を探していくと、必ず、年配者の存在が浮上してきたのである

 

 メンバーが勇んで活動できるように、地道に家庭指導に歩き、悩みを聞き、豊富な人生経験を生かしながら、きめ細かな激励を重ねる”指導の達人”もいる

 

 また、幹部として活動に励む嫁などに代わって、孫の面倒や家事を引き受け、しっかりと家を守ってくれているお年寄りも多い

 

 仏法は平等である。広宣流布のために尽力していくならば、誰も賞賛してくれることはなくとも、御本仏が必ず御照覧くださる。

 

 また、それはすべて、偉大なる功徳、福運となって、自身を荘厳していくことは間違いない。

 

 しかし、伸一は会長として、そうした同志を讃え、慰労したかった。

 

 ”陰の人”への配慮は、指導者の義務といえるからだ。