たとえ、草の根をかみ、岩盤に爪を立てても、前へ進み、・・・ | くにまさのブログ

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     (『新・人間革命』第7巻より編集)

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          〈操舵〉 29

 

 伸一は、毎年この日に、戸田に”勝利”の報告をすることを、自らの義務としていた。

 

 いかに苦戦を強いられようとも、必ず何らかの勝利の実証をもって、法要の席に馳せ参じることが、弟子の道であると、彼は心に決めていたのである。

 

 戸田は、口先だけの決意の人間を、絶対に信用しなかった。最も厳しく弾呵した。

 

 「ハッタリ家」「ペテン師」「イカサマ師」と言って憚らなかった。

 

 たとえ、草の根をかみ、岩盤に爪を立てても、前へ進み、勝って、誓いを果たし抜いてこそ、”師子”であるというのが、戸田の指導であった。

 

 それは広宣流布の責任の重さを、弟子たちに教えようとする、師の厳愛でもあった

 

 

 山本伸一は、この四月も関西に足を運び、五日には、創価学会が建立寄進した京都市右京区の平安寺の落慶入仏式に参列した。

 

 住職は、阿部信雄(後に法主となり、学会を破門した)であった。

 

 「阿部先生というたら、・・・ 世界広布のためにアメリカの”出張御受戒”に行かはったお方やろ・・・。 

 

 ほんまにすばらしい方が来てくれはったな

 

 当時、まだ、阿部の正体は誰もわからなかった。

 純粋な学会員の、彼に対する期待は、あまりにも大きかったのである。

 

 この日、伸一は、あいさつのなかで、仏法者の在り方に言及し、次のように結論した。

 

 「仏法をたもった私どもは、周囲の人びとから『なるほど立派な人である。

 

 これほどの人が信心しているならば、私も信心しよう』と言われるような姿でなければならないと思うのであります」