(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈文化の華〉 22
戸田は、戦時中、牢獄で、恩師・牧口常三郎の身を案じながら、こう祈り続けてきた。
「どうか、罪は私一人に集まって、先生は一日も早く帰られますように」
さらに彼は、心で叫ぶ。
「大聖人様、私と妻と子の命を聞き入れ給え(納受したまえ)。妻や子よ、なんじらは国外の兵の銃剣に倒れるかもしれない。
・・・しかし、妙法の信者・戸田城聖の妻として、また子と名のり、縁あるものとして、霊鷲山会(りょうじゅせんえ;この山で法華経が説かれたとされる)に詣でて、
大聖人にお目通りせよ。かならず厚くおもてなしをうけるであろう」
それは、法華経を身で読み、三世を知りえた戸田の殉教の決意であった。
伸一も、戸田のこの心を、わが心としてきた。伸一の妻の峯子もまた、同じ決意に立っていた。
だから、彼女は、伸一の会長就任の日に、「今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式ですから・・・」と語ったのである。
伸一にも、また、妻の峯子にも、その金剛の決意なくしては、末法濁世にあって、三百万世帯達成という広宣流布の堅固な基盤をつくることなど、できようはずはなかった。
もし、微塵でも、伸一が一身の安泰を考え、殉難を恐れていたならば、太陽のごとく、勇気と希望と活力の光を、全同志の胸中に送り続けることも、できなかったにちがいない。
太陽は、自らの身を燃やして宇宙の闇を照らし、月天子を、あまたの惑星を光り輝かせる。
同様に、太陽の闘魂をいだいた一人の勇者がいれば、その勇気は波動し、万波を叫ぶ。