規模こそ小さいが、平和を願うオリンピックの精神を、最も反映した大会であった | くにまさのブログ

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    (『新・人間革命』第7巻より編集)

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         〈文化の華〉 10

 

 このころ、日本では、二年後に控えた東京オリンピックをめざして、各種の競技場や付属設備、道路などの建設が、急ピッチで進められていた。

 

 オリンピックの精神は、スポーツを通しての平和な世界の建設にあるといえる。

 

 ・・・ 。

 

 また、戦後も、国家の威信をかけた大国のメダル獲得競争の場となりがちであったといってよい。

 

 それに対して、学会の体育大会は、平和建設の使命に目覚め、戸田城聖が示した地球民族主義の実現を願って、日夜、民衆の蘇生のために汗を流す若人が、その熱と力を競い合う祭典である

 

 規模こそ小さいが、平和を願うオリンピックの精神を、最も反映した大会であったといえよう。

 

 思えば、戸田が、五年前の昭和三十二年九月八日、「原水爆禁止宣言」を発表したのも、この三ツ沢の陸上競技場で行われた第四回東体育大会の席上であった。

 

 あの日、戸田城聖は、世界の民族は生存の権利をもっており、その権利を脅かすものは、魔ものであり、サタンであり、怪物であると断言した

 

 そして、「たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、

 

 全日本青年男女の使命であると信ずる者であります」と叫んだのである。

 

 これが、戸田の第一の遺訓となった。

 

 山本伸一は、この遺訓の実現に、生涯を捧げる決意を固めていた。

 

 また、そのために、具体的に何をすべきかを考え続けていたのである。