それは、同時に、生命の厳しき因果の法則からは、誰人も逃れられないということ | くにまさのブログ

くにまさのブログ

知っていただきたいことを、主に記していきます。

    (『新・人間革命』第6巻より編集)

          138

        〈若鷲〉 29

 

 また、「第一方便品・・・」の「(ひ)とは厳しきなり。三千羅列なり。これよりほかに、不思議これ無し」の御文では、生命の厳しき因果を訴えた。

 

 「ここでは『秘妙方便(ひみょうほうべん)』の『秘』というのは、厳しいということであり、妙法は厳しき大宇宙の法則であることが述べられている。

 

 なぜなら、宇宙の森羅万象は、ことごとく一念三千{衆生の生命(一念)に現象世界(三千)のすべてが収まること}の当体であり、三千の変化が、一つも欠けることなく羅列しているからです。

 

 私たちも一人ひとりが妙法の当体です。だから、信心に励むならば、必ず成仏することができる。

 

 また、それは同時に、生命の厳しき因果の法則からは、誰人も逃れられないということでもある。

 

 つまり、未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。現在、いかなる一念で、何をしているかによって、未来は決定づけられてしまう。

 

 たとえば、信心をしているといっても、どのような一念で、頑張っているかが極めて大事になる。

 

 人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。

 

 まさに『秘』ということになります。

 

 しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。

 

 私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです。

 

 たとえば、いやいやながら、義務感で御書の講義をしているとしたら、外見は菩薩界でも、一念は地獄界です

 

 講義をしている姿は形式であり、いやだという心、義務感で苦しいという思いー これが本当の一念になる

 (つづく)