(『新・人間革命』第6巻より編集)
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〈遠路〉 12
伸一は言葉をついだ。
「確かにギリシャの歴史家ヘロドトスも、有名な史書『歴史』のなかで、このクフ王の大ピラミッドの建造について、祭司の話として、エジプト全国民を強制的に自分のために働かせた、と記してはいる」
このヘロドトスの記述によって、長い間、ピラミッドは、国民を奴隷のように酷使して建設されたという見方が”常識”となっていたのである。
伸一は言った。
「なぜ、私がそのヘロドトスの記述に疑問を感じるかというと、民衆が強制的に働かされ、いやいやながらつくったものが、何千年も崩れることもなく残るかと思えないからだ。
数あるピラミッドのなかには、王の命令で、民衆の強制労働によって建造されたものもあるかもしれない。
だが、このクフ王の大ピラミッドなどは違うという気がする。
何の責任もなく、ただ奴隷根性で、強制と義務感によって行われた仕事が永遠性をもつだろうか。
ピラミッドのような大建造物の場合、わずかの手抜きや狂いがあっても、崩壊の原因になってしまうだろう。
ずっと後代のピラミッドでも、既に崩れてしまっているものがたくさんある。
しかし、こうして、クフ王の大ピラミッドが残っているということは、作業にあたった一人ひとりが、強い責任感をもって、自分の仕事を完璧に仕上げていったからだ。
さらに、皆が互いに補い合おうとする、団結の心がなければ不可能といえる。
その真剣さ、建設への大情熱がどこから生まれたのか。少なくとも強制労働では、そんな人間の心は育たない。
私は、この建設には民衆自身の意志が、強く反映されているように思う」