石川英子には、自分が中心でなければ気がすまないという、心の偏狭さがあった | くにまさのブログ

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        (『新・人間革命』第5巻より編集)

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        〈勝利〉 30

 

 伸一は、婦人部の来賓席にいた、かって女子部長を務め、現在、婦人部の幹部になっている石川英子に、視線を注ぎながら言った

 

 「特に、女子部出身の人は、後輩に優しくしてね。女子部を頼むよ」

 

 石川は、女子部の後輩たちに対して、甚だしく傲慢であった。そのために、いやな思いをしてきた女子部員も、少なくなかったのである。

 

 昭和三十四年、戸田城聖の逝去の悲しみから立ち上がった女子部は、広宣流布への新出発の誓いを込めて、新しい女子部歌を作成することにした。

 

 それは、若々しい希望にあふれた歌であった。

 

 新しい歌が、女子部の代表幹部の会合で紹介されると、皆、大喜びし、賞賛を惜しまなかった。

 

 ところが、その時、石川は険しい顔で、冷ややかに言った。

 

 「これは正式な女子部歌ではないでしょう。女子部歌というのは、私が作詞し、戸田先生が認めてくださった、あの歌だけです。

 

 それ以外に女子部歌といえるものはありません」

 

 新しい出発を期そうとする後輩たちの、燃え上がる心に、冷水を浴びせるかのような言葉であった。皆、愕然とした。

 

 石川英子には、自分が中心でなければ気がすまないという、心の偏狭さがあった

 

 それゆえに、後輩たちが何かを創造し、伸びていくことに、嫉妬ともいうべき感情をいだいてしまうのであった。

 

 また、夫を、”偉くしたい”という思いも、人一倍強かった。

 

 彼女は理事の石川幸男と結婚していたが、戸田城聖が逝去すると、次の会長は自分の夫なのだから、つくべき人を間違えてはいけないと、女子部の幹部に吹聴していった。

 

 夫を会長にするための画策である。