(『新・人間革命』第4巻より編集)
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〈青葉〉 23
事実、伸一は、『大白蓮華』の巻頭言の執筆を続けたほか、月刊誌『潮』などにも筆を執っている。
会長就任第二年目に入った伸一は、青年の育成を機軸にしながら、全国各地を巡り、動きに動き、語りに語った。
五月二十七日は、五月度の本部幹部会が台頭体育館で行われ、この席上、新たに六人の理事が誕生した。
そのうち三人が、男子部長の谷田など、青年部の幹部であった。この若々しい人事は、参加者に、青年の時代の到来を感じさせた。
また、海外に、東南アジア総支部が結成された。総支部長には、森川一正が、婦人部長には、本部常任委員の中原涼子が就任した。
さらに、本部に広報局が新設され、秋月英介が広報局長になった。
これが学会の記録映画を担当していく部門であり、いよいよ映画製作という、山本伸一の構想が、具体化していったのである。
一方、言論部も、青年部の幹部からなる言論部第一部と文筆の専門家からなる言論部第二部の体制が、正式に発表された。
青年の育成のための、伸一の布石は、あらゆる場で次々となされていった。
五月二十九日には、六月の活動をめぐって、理事会が開催されたが、その折、伸一は提案した。
「青年部を育てるためには、男子部、女子部の幹部だけに任せていてはならないのではないか。
というのは、人生の問題になれば、同世代の幹部では、どうしても対応できないこともあるからです。
また、男女青年部が、自分たちだけで小さくまとまっていると、全学会という視野に立てなくなってしまう場合もある。
そこで、六月度から、男女青年部の幹部会は、本部幹部会と同格とし、青年部の支援の一環として、私をはじめ、全理事室が参加するようにしたいと思う」