学会出身の最初の僧侶となり、腐敗堕落した宗門のなかで敢然と戦ったのである | くにまさのブログ

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   (『新・人間革命』第4巻より編集)  

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    〈春嵐〉 4

 

 支部長の抱負を前に、いたく緊張しているにちがいなかった。

 

 伸一は、檀上で、吉成と目が合うと、微笑んだ。彼もホッとしたように、笑みを返した。

 

 吉成は、石巻の広布の先駆者であった。

 

 戦時中の昭和十七年、東京にいた長兄の泰造が、初代会長牧口常三郎が出席した座談会で入会。

 

 そして二人の弟も仏法に目覚めていった。

 

 その直後、軍部政府の弾圧が始まった。牧口会長、戸田理事長以下、幹部が相次いで投獄されていったのである。

 

 しかし、この暗黒の時代にあっても、彼らは揺るがなかった。温厚で寡黙だが、こうと腹を決めたら一歩も退かない東北人の気性を受け継いでいた

 

 その信仰の炎は戦後になると、いよいよ強く燃えさかった。

 

 戦後、仙台支部が誕生すると、吉成兄弟は、広布の戦野を駆けめぐった。

 

 その後、長男の泰造は、戸田城聖の指導を受けて出家し、学会出身の最初の僧侶となった

 

 次いで、山本伸一が会長に就任した年の秋には、四男の宣正が出家し、さらに、戦後に入会した末弟も、後に出家している。

 

 この三人は、学会に脈打つ護法の精神を貫き、腐敗堕落し、権威化していく宗門のなかで敢然と戦い、正法正義を守り抜いていったのである。

 

 支部結成大会は、石巻支部長の吉成靖司の抱負となった。

 

 「皆さん、私は決意しました。折伏の王者の支部をつくります。皆さんのために働かせてもらいます。

 

 一緒に戦ってください。そして、一緒に泣いて、一緒に功徳の喜びに包まれようではありませんか!

 

 朴訥とした口ぶりではあったが、大確信にあふれた、温かい人柄のにじみ出る抱負であった。

 

 伸一のあいさつとなった。