(『新・人間革命』第2巻より編集)
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〈勇舞〉 28
十一月九日から六日間にわたって行われた、山本会長の甲信、北陸方面の支部結成大会の旅は、各地に歓喜と躍動の絵巻を広げ、
未来の大発展の布石となっていった。
彼の指導を聞いた参加者は、実に三万五千人に上り、その多くが、初めて伸一の姿を目にした人たちであった。
そして、その同志が、各地にあって三百万世帯の原動力となっていったのである。
山本伸一の行動は、日を追うごとに激しさを増していった。
甲信、北陸方面の旅では、宿舎に帰っても、決済を要する膨大な書類の山が待っていたし、打ち合わせは、しばしば深夜にまで及んだ。
しかも、移動の車中でも、彼は個人指導の時間にあてていた。
しかし、そのなかで、伸一は、ますます活力をみなぎらせ、日々、元気になっていくのである。
その動きに目を見張り、舌を巻いたのは、側近の幹部たちであった。
ことに海外指導に同行した幹部は、彼が病魔と闘い、死力を振り絞るようにして指導を続けた様子を、目の当たりにしてきた。
その後のスケジュールを考えれば、伸一の疲労の度は、さらに増しているはずである。
それだけに不思議でならなかった。
伸一が甲信、北陸の指導から戻った翌日、首脳幹部と打ち合わせを行った時、幹部の一人が思い切って尋ねた。
「私は、海外での先生の激闘に驚嘆しておりましたが、帰国後の動きは、それをはるかに超えています。
そして、動くにつれて、お疲れを見せるどころか、お元気になられる。先生のその力は、いったいどこから出るのでしょうか」
伸一は笑みを浮かべて答えた。
「私は十年余にわたって戸田先生の下で仕えた。
それはそれは、激しい戦いの歳月だった。緊張の連続だった。
弱い体と闘いながら、そのうえに、先生の事業のいっさいの責任を担ってきた。
そのなかで私は、精神的にも、肉体的にも、すっかり訓練されてしまった。それが生命力というものだよ。
(つづく)