(『新・人間革命』第1巻より)
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〈慈光〉 1
大仏法の慈光は、今、アメリカ最大の都市ニューヨークの摩天楼にも、降り注ごうとしていた。
十月十三日午後零時三十分にトロントを発った山本伸一の飛行機は、午後二時過ぎ、ニューヨークのアイドルワイド空港(後のジョン・F・ケネディ国際空港)に到着した。
ニューヨークの街は、世界経済の中心らしく、さすがに活気に満ちていた。
翌十四日の午前中、一行は国連本部を見学した。それから、ニュージャーシーにある座談会場に向かった。会場はワシントンから移転して来た、正木永安の姉に当てるユキコ・ニシノの家である。
その入り口で、山本伸一は、日系の婦人と青年に出会った。
青年は日本の商社のアメリカ駐在員で、杉原光男と名のった。
婦人はこの青年がニシノに頼まれて連れてきた、ある大学の助教授夫人であった。婦人は入会していたが、杉原は、学会員ではなかった。
午後六時半に座談会が始まった。集まったのは、大半が日系婦人である。また、、彼女たちの夫は、アメリカの軍人として日本に来ていたという人がほとんどであった。
メンバーの表情には、生活の疲れが滲(にじ)み出ていた。
最初に声をかけた婦人が、いかにも心細そうな声で答えた。
「主人は、軍人ですが、外国に派遣され、子どもと二人で帰りを待っています」
「そうですか。それは寂しいでしょう。どうか、ご主人が帰ったら、大切にしてあげてください。
それまでは、お一人で大変でしょうが、子どもさんを立派に育てることです。ご主人にとって、いちばん嬉しいことは、子どもがたくましく、すくすくと育っていることです。
それが何よりも励みになりますからね。・・・・ですから、もっと、はつらつとして、『私は、大丈夫ですから、あなたもしっかり頑張って』と、手紙に書いてあげるくらい強くなることです。
自分が強くなければ、優しい心遣いはできません」
婦人の真剣な顔に、ほのかな赤みがさした。