突然肺ガン(扁平上皮ガンステージⅣ)になったパパと明るく支えるママを、頼りなく支える娘のブログ
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ドセタキセル4日目 発熱 食欲不振


7月16日日曜日

朝、父から連絡がなく、不安な気持ちだったので連絡すると、37.2度熱があり冷やしています、と帰ってきた。

肺炎じゃないだろうか、と不安になり、色々調べてみると、38度出なければ大丈夫だと書いてある。
知人のKさんのご主人は、高熱が出なくても肺炎にかかっていて、寿命を縮めたので、警戒してしまう。

本人は、大丈夫~、と言ってきたが、食欲も無いし心配なので、面会を昼に変更。

12時00分過ぎに到着。
横になっていたが、元気そう。
看護師さんに肺炎ではないかと尋ねたら、主治医に連絡してくれ、血液検査をしたという。

カロナールが効いて平熱に。
食事はとれず、給食の鶏肉を無理やり食べ、さくらんぼも食べた。

横になっていたが眠っている時間が長くなり、肩と背中をマッサージしてあげた。

熱が下がったので、競艇やる気になり、やり始めた。
疲れたようなので、13時30分頃帰った。

帰りにユニクロや百均に寄り帰宅。

私達が帰ってからも、競艇を楽しんでいたようだ。

インターネット投票をしているので、こっちでログインすると、買っているかどうかわかる。
父はマメに連絡してくるタイプではないので、ログインしてみて、もし舟券を買っていたら、元気あるんだなと思うし、朝から1度も買っていないと、体調悪いのか、と不安になるが、動向が読めて、助かるのだ。

ドセタキセル3日目 発熱


7月15日土曜日

朝、まずまずの朝です、とメールが来て、ホッとする。

安心していると、昼ごはんはあまり食べられなかったとメールが。
副作用が出てきたか…

17時00分ころ病院に向かう途中、「熱が出たのでカロナールを飲んだ」と連絡が…
急に不安になる。

病室に着くと、横になっていたが、以前肺炎になった時とは違う様子。

夕飯はオレンジ、ビーフジャーキーをなどを食べただけ。

まだ起き上がる元気はあり、競艇を少しやった。

父から、隣の部屋へ移動したとメールが来た。
部屋の向かいの人がベッドを仕切るカーテンを全部開けっ放している事を嫌がっていたのだが、昼間、直接、看護師さんもいる時に意見したようだ…
尿瓶が丸見えで、臭っていたそうで、これから副作用と闘うので、なんとかして欲しい、と。

すると、その人は意見を聞いてくれないので、看護師さんが5人くらい来て、父を隣の部屋へ移動させたという💧。

てっきり容態が安定しているので、ナースステーションから遠い所に移動させられたのかと思ったが、違った💧

「〇〇さんにはいつも驚かされる~今度、身体に何かあったら、個室よ~」とジョーク混じりに怒られたそう…

元気な証拠だな。
母が看護師さんに、お詫びに行った。

19時30分頃帰宅した。

今日は近くのサンバ祭り。
行く元気もなく、実家で過ごした。

ドセタキセル2日目 異常なし


7月14日時金曜日

無事朝を迎えた。

父は大丈夫だったのだろうか。

8時すぎにLINEをすると、
「変わりないよ。ふらつき気味」
と返信が。

熱が出なかったので、主治医も少し安心していたらしい。
男性医師のお腹が出て来ている事をつっこんで、笑ったらしい。

1日中競艇を楽しむ。

14時頃、LINEすると返事がなく、焦る。
しばらくして、寝てた、と返事。

17時半頃、病院へ。
食堂で夕飯。
また、
牛すじを甘辛く煮たもの、
チェリー
給食のオクラ、白米、大根煮をがっつり食べた。

主治医と保険の話を色々したらしく、1度保険屋へ出向きたい、と言う。
担当の保険屋を信頼できなくなっているらしい。

部屋へ戻り競艇ナイター。
19時30分頃病院を出る。

とりあえず熱が出ず一安心だが、これから副作用が押し寄せて来るだろう。

引き続き肺炎に注意するように。
あと、保湿剤を手足に塗るように。
と伝えた。


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