あれから2か月も…
ブログを更新しなくなって、あっという間に2か月もたってしまった。
色々ありましたが、父はまだまだ元気😉
2か月の記録がすっぽり抜けてしまい、後悔していますが、またこれから記録したいと思う。
あー時間がなくて…💦
3月22日水曜日 主治医と面談
昨日、両親が簡易CTの結果を聞き、原発増大、肝臓転移の疑いとの事で、23日木曜日から入院し、オプジーボをするとの話しになった。
今日は急遽休みになったので、主治医の先生と二人きりで面談することに。
少し前で、すぐに書き留めなかったので、覚えていることだけを記入します。
「オプジーボを、早い段階で使おうというガイドラインになったので、セカンドラインで使いたい」
とのこと。
「2、3ヶ月は少し休薬出来るかな、と思っていたが、がんの勢いが強いのかもしれない。
そのせいで、腫瘍熱もでている。」
と。
「食欲がまだないのは、シスプラチンとTS-1の副作用ではなく、肝臓の転移のせいかもしれない。」
「転移、増大したのは誰もなにも悪くなく、がんの顔つきの悪さなんです」
などと言われた。
そして一番ショックだったのは、
「今回の増大、転移となった機会に、最期をどう過ごしたいかを、お父様に少しずつ話していきたい」
と言われたことだった。
私は、
「あまり、余命とか、最期の話はまだしたくない。今まだ元気で頑張れると思っているのが、挫けてしまいそうだから、それは避けられないか」
と聞いた。
すると、
「お父様の人生なので、お父様を置き去りにして、その他の人間で進めていくことはできないと思うんです。」
と言われた。
父はまだ、自分がどの程度悪いのかあまり実感してないと思う。
最期の話をされたら、ショックで戦う気力をなくしてしまうのではないか。
それが怖かった。
1人でいろんな話を聞いて、抱えきれなくて、どう帰ってきたのかわからないくらいだった。
その後実家により、「説明聞いてきたよ」と、何食わぬ顔で軽く話を伝えた。
3月20日月曜日 またまた競艇へ
体調がいいのか、前の日から「明日も行こうかな!」なんて、冗談混じりに言っていた。
次の日診察なのだが、必ず前日はゆっくり過ごす決まりになっていて、前日に出掛けるなど珍しかった。
私も息子も、喜んでついていった。
母は、父が暇をくれ、お留守番。
行きの車で、息子が、「競艇選手になって儲けたら、みんなに毎月10万円あげる」と言い出した。
父と「やったぜー!」と喜んでいたら、息子が「じいじ生きてるかなぁ…」と思わずもらした。
10年後は77歳。
父は「じいじはもう死んでる」と言った。
ガンでなければ生きてる可能性、全然あるのに。
競艇はたくさん的中を出して、それはもう楽しかった。
いつも食べる、白モツ串を、一昨日は食べられなかったが、今日は二本も食べられた。
すごく嬉しかった。
帰りに、息子のためにスーパーで刺身を買ってくれた。
とても疲れていたが、それより、楽しく嬉しかったみたいだ。