わたしたちスクール・ダイバーシティの担当教員による本、『ダイバーシティ・ポリス宣言』(久保田善丈著、ころから出版)が刊行されました。「ダイバーシティ/多様性」というワード自体の社会的なあり方とスクール・ダイバーシティの活動を掛け合わせて日本中のダイバーシティ・ワーカーに語り掛ける本です。というわけで、今回は、出たばかりのこの本の紹介です。
表紙と目次はこんな感じ。表紙&裏表紙のネイルアートは卒業生の四ノ宮凜さんの作品、内容に合わせてひとつひとつにダイバーシティな意味が読み込まれています(それについては機会があればと思っています)。
目次
0.イントロダクション―こんな本だと思っています
1.ダイバーシティ・ナウ——「食べ物」と「虐殺」の間で
2.スクール・ダイバーシティへようこそ
3.スクール・ダイバーシティのダイバーシティ・ワーク
4.高校でダイバーシティ・グループを作る
5.挑発的ダイバーシティのすすめ
6.挑発的ダイバーシティのために実践を読み直してみる
7.むすびにかえて―「変な人」になろう
さっそくですが、感想コメントをいくつか。いずれも、取り急ぎという感じでくれたコメントですが、主にいっしょに活動してきたみんなからのものなので、ツボを押さえていて、紹介にはピッタリです。もちろんいいこと中心のコメントになりますが、それを差し引いても、読んでみようかな―ということになるコメントかと思います。
まずはSDスタート以前からの仲間たちのコメント。
*ひとまず「イントロダクション」と「第4章」読みました。「2.ちょっと長めの前夜」の勉強会の所、懐かしかったです。でも、問題として扱ったテーマはぜんぜん「懐かしい、過去の解決した事」とは言えないですね…。
*イントロでスクールダイバーシティの活動を紹介する際、「繊細であるからこそ同時にふてぶてしくもあるような、そんな活動」と表現していたのが、刺さりました。そういう高校生カッコいいですね。
*まだぱらぱらと読んでいる程度ですが、スクール・ダイバーシティとしての活動レポートに収まらず、この本全体がダイバーシティという言葉への批判的論考にもなっていて、興味深く読ませてもらっています。
つづいて、結果的にマイノリティのなかのマイノリティになってしまっている自分自身にとっての「ダイバーシティ」を考える―という感じのコメント。日本国籍で日本名の(本来)在日コリアン三世である仲間のコメントです。これはあらためて深掘りしたいところですが、ここではコンパクトに。
*本を読んで改めて触発された部分でもあるのですが、在日としての自分の立場を考える時に「多文化共生」や「ダイバーシティ」は結構厄介な言葉だなと思っていまして。非日本国籍で朝鮮学校に通い、本名を名乗る在日というのはある意味でわかりやすく、ルーツを大切にしよう(=本名を名乗ろう)みたいな文脈で語りやすいと思うのですが、日本国籍日本名はその逆を行っているようにも見えてしまい「多文化共生」や「ダイバーシティ」という枠組みからはこぼれ落ちてしまう。リベラルな人たちからはスルーされるし、おまけにネトウヨからも叩かれがちでいいことない……てな感じになっていたのかと思います。「異なる文化を認め合おう」「多様性が大切だ」という、マイノリティ支援として1ミリも間違っていない標語もそのように生きられていないマイノリティにとってはプレッシャーを与えたり、沈黙を強いてしまうことがある。
次は、かつて自身が本書で取り上げられているイベントを仕切るひとりだった卒業生が当時を振り返って、というコメント。
*長らくのダイバーシティでの活動を読んでいると、「多様性」に対する生徒たち、教員たちの反応・当時できたこと・やれなかったことの違いに、すごく「時代の変化」が見えて面白いですね。今は寄り戻しの時代……。
*今さらですが男装女装のあたりを読んで、当時(2015)、クラスメイトから「女装させるためになんか必死でやってるんでしょ?(笑)」とちょっと馬鹿にするテンションで言われたのを思い出しました。「うん、男に女装させるために必死でやってる!」と間髪入れずに真顔で返したときがすごく気持ちよかったんですよね。「自分のやりたいこと」を好きにやって、その結果「変な人」でいることって、すごくシンプルで、他の何にもとらわれていない感じが気持ち良かったんですかね?「お前が馬鹿にしていることを私は超楽しめてるよ!」って教えてあげたかっただけかもしれませんが……。そしてカバーが最高にキャンプ〈注〉ですね!!
現在進行形で活動に参加してくれている卒業生や教員からもこんなコメントをもらってます。
*「ダイバーシティ・ワーカー」にフォーカスするという発想、ナイス。そういう本は見たことないかも。
*「ダイバーシティ」というワードが、広まっていく、一般的な語彙として浸透していくという状況にボジティブなものを感じ取っているけど、でも、一方で感じるもやもや。一般化が「ダイバーシティ」というワードの陳腐化を同時に意味するという本書の論点は、こんなもやもやをすっきりさせる。
東京都の小学校で校長をつとめている知り合いの方からは、こんな正直な声も。
*「教育公務員にはインパクトが強すぎる!」
これでこそ、出版したかいがあるということで、SDとしては、まずは「ナイス!」なわけですが、この「インパクト」のあとですよね、会って話を交わすような場を設定できればと思っています。
その他、この本をさっそく読んでくれた方のこんなインスタもありました。これはホントいい感じに読んでもらってるなということで、筆者も喜んでます。今回取り上げる最後のコメントになります。
*この本を、Radioheadの「Creep」を聞きながら、読んでると、なかなかググっと入ってきます。映画や音楽の情報も満載で、こういう感じのものは今までなかったのが不思議だけど、何しろぐんぐん引き込まれる本。高校生、大学生、教師を目指す人、教師、もちろん広く広くいろんな人に読んでほしい本です。https://www.instagram.com/p/DG4Lm9lyVVn/?igsh=a2Q5NjA5MGdtNWRr
どうでしょう、どんな本なのか、なんとなくイメージできたでしょうか?目次を見ていただくだけでもなんとなく「めんどくさい」感じは伝わると思いますが、「コメント」からもそれは伝わることと思います。この『ダイバーシティ・ポリス宣言』、通り一遍の実践報告でも「高校生ががんばってて立派ですね」的な本でもぜんぜんないし、ましてや、「ダイバーシティ」を陳腐なきれいごとにするつもりは、ぜんぜんないです―というようなことを書き連ねているうちにうちに、本格的な書評も届いているので、次回更新では、そんな書評のひとつを全文公開、ということで、もう少しこの『ダイバーシティ・ポリス宣言』の紹介&宣伝を重ねたいと思います。
〈注〉 ここでの〈キャンプ〉は「きれいな湖畔で―」というキャンプではないです。さしあたってこちらを参照してもらえればと。